司書独言(92)

`09.4月寄稿

○月○日 昔のペルシャは1935年からイランと改称した。イランはギリシャ語で「高貴な」とか「自由な」とかの意だ。この国とバーレーンとのサッカーの試合に材を取ったDVD「オフサイド・ガールズ」を観た。私はサッカーに殆ど興味がないから、サッカーと言うだけでは、この作品を観る気は起こさなかったろうが、何故借りて来たかと言えば、イランではサッカーの会場に女は入れない、家でテレビを見るだけならば男がいてもいいが、理屈はともかく、スタジアムに入れるのは男だけで女はオフリミット。ところがこの作品は、何が何でもスタジアムで自国の選手の活躍を観たいと言う女たちの話で、となれば,,,、さて如何に相成るや?で観た訳。筋を話すのは止すが、参ったのは、イラン万歳・イラン万歳と言った態の群衆のうるささ。私は子供の頃から群れるのが大嫌いで、だから例えばオリンピックなどでも、誰が音頭を取るのかは知らぬが、「ニッポン・チャチャチャ」とか「ウエーヴ・ナントカ」と来ると、何かしら嫌な気がする。それがこのイラン映画、バスの中だろうと何だろうと、うるさいことおびただしい。「女の権利」なんてものを論ずる前に、このうるささに参った。もう一つ参ったのが、そのうるささに引き代えての間延びした会話。まるで小津安二郎の登場人物の会話に輪をかけたかのように、同じ事を反復し合う。今迄観たイラン映画は概ねこうだったから、これは国民性なのだろう。何故こう成ったのかを追々探ってみたい。因みにイスラム首長国のバーレーンは「二つの海」と言う意味であるぞ。

○月○日 室工大に居た時付き合った中国人留学生には色々なタイプの人間がいたが、出身地、年齢、専攻に関わらず共通していたことが一つある。それは、葬儀場で働く人達、殊にも昔の日本語で言えば隠亡(おんぼう=火葬場で死体を焼く職業)に対する差別感。どの人も皆、せせら笑う様な、時には滑稽でたまらぬと言った表情で触れるのが常で、その都度私は「社会主義国の人間にして、この差別感とは」、と内心つくづく嘆じ入ったものだ。人間の偏見は政治体制とは関係がないようだ。それが最近の報道を読むと、その中国で大学生の間に「葬儀業」に人気が出て来ていて、上海の葬儀連合会が就職説明会を開いたら、ナント5,000人余の学生が集まった由。この突然の人気は、世界的不況の中で「この業界は景気の影響を受けないから」と言うのが原因らしいとの事。かってのあの差別観が本当に消えたのか、と余計な心配をするが、墓園設計師に応募した学生は、専攻が「環境設計」だから、「仕事と専攻が一致する』と割り切っている由。一方、日本でも葬儀業界は17%もの伸びだそうで、中国と言い、日本と言い「おくりびと」のせいだ。10年程前に亡くなった我が母の葬儀で、私は初めて「納棺師」なるものを見て、その手際の良さに感心した物だが、まあ、「おくりびと」ブームをきっかけに、妙な偏見も消えてくれるなら、嬉しいことだ。

○月○日 葬儀でもう一つ思い出した。それは最近のロシア映画「12人の怒れる男」の中のエピソードで、墓堀人がこれから棺を入れると言う墓穴を故意に水浸しにしておいて、乾いた墓穴をほしければ更にお金を出せーと言う話。もちろんこの話にはトリックがあるのだが、プーチンの下、庶民の生活の知恵はそこ迄せこくなっているのか、と言うことを示すものだ。中国の古い言葉で「鼓腹撃壌」(こふくげきじょう)なる言葉があって、「こふく」は満腹して腹づづみを打つこと、「げきじょう」は大地を叩いて歌うことで、両者合わせて「世の中が治まり、食が足りて安楽と成り、太平を楽しむさま」を言うのだが、今や、世界中どこをさがしても、この有様でいる民はいないなあ。

○月○日  漢字検定で理事長が降りる降りないで騒いでいる。私にいわせりゃ、こんな馬鹿試験、受ける側が全員やめりゃ、それで一件落着だ。無収入になれば、理事長もへったくれもないだろうて。漢字が読めるようになったと、ひとからお墨付きもらう暇があったら、読めるようになった分だけ、今迄読めずにいた難しい本に手を延ばして、必ず読了し、少しは物を考えるくせを身につけることだ。

○月○日 このように私は単細胞だから、同じ伝で行くのだが、出会い系サイトでナントカ,闇サイトでナントカと、これ又色々騒いでいるが,そう言うものにめぐり合わぬためには,ケータイもたなきゃいい。オレオレ詐欺で引っかかるような頭しかない,と成れば,防ぐためには電話を持たねばいい....もう一度言うが,単細胞の私としてはそう思う。

○月○日  「裁判員制度」が間近くなって来て、しきりに思い出す映画がある。アンドレア・カイヤット監督の1950年作、「裁きは終わりぬ」だ。癌で苦しむ愛人を安楽死させた女を7人の陪審員が裁く。7人は当然の事に7様の人生を背負っている。その背負い方が人を裁く時に恐ろしい要素となって出てくる。カヤットは元弁護士で陪審員制度に鋭い疑問をつき付けた訳だ。1957年作「12人〜」も,陪審員制度について考えさせられる映画だが、私が点数をつけるなら、カイヤットの方が上だ。裁判と言えば、「横浜事件」がまだすっきりしない。言論弾圧の見本,そして,冤罪の見本みたいな事件で,私の書棚にも関連本が20冊は超えている。司法はナンデスッキリ出来ぬのだろうか。

○月○日 冤罪と言えば「弘前大学教授殺人事件』で無実の罪を被せられた那須隆が昨年亡くなった。出所して,最後には栃木県大田原市の「那須与一伝承館」の名誉館長をしていた。何しろこの人、かの「源平合戦」で扇の的を射落とした弓の名手「那須与一」の直系で第36代当主と言う由緒正しい人なのだ。そう言う人が冤罪に巻き込まれたのだから恐ろしい。この事件に関しても,私の書棚に4冊程あるが,私が不思議で成らぬのは,無実が判明したあと,片方の冤罪をでっち上げた方には,何のお咎めもないということ。

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