○月○日 フランス東部のサンニコライドポールの町長が犬の登録を拒否した。最初ナンノコトヤラと思ったが読んで納得。その2頭の名は「イトラー」と、「イバ」飼い主は右翼の国民戦線FN党の人物。となると、イトラーは ヒトラー 、イバ は愛人 エバ・ブラウンの言い換えだと誰でもわかる。
ドイツではヒトラーを礼讃し、ホロコースト=ユダヤ人絶滅を否定すれば法に触れるとは今や外国人の我々とても常識。歴史認識からくる不快感を示しての町長の処置は正しいね。
○月○日 犬にでさえ神経をとがらせる人がいる一方我が国の安倍の女友達はおおらかというか歴史音痴というか….、先頃高市と稲田両人が山田一成とツーショットで写された。どこがいけないの?となればこの山田、「国家社会主義日本労働者党」なる日本版ナチスの党首なのだ。この党の基本理念の一つは「民族浄化の推進」である由。この言葉先のヘルツエゴビナの戦争で「民間軍事会社」が使い始めた言葉というが、それはおいて、ヒトラーの妄想をコピーしたこの党がまともな筈はない。そんなうさん臭い人物と一緒に写真を撮って結果そんな党を容認する事になるだろうようなことをどうしてするんだろう。先記のの町長の歴史認識に比べて、はるかに愚かで、つまりは馬鹿だ。
○月○日 辺野古を埋めようと必死の安倍側がしきりに「粛々と進める」なる表現を使う。この「粛々」で万人が想起するのは頼山陽『不識庵、機山を撃つの図に題す』だろう。
「鞭声粛々 夜 河を 過ぎる(べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる)」で始まる七言絶句で、頼山陽33歳の作。 不識庵とは上杉謙信、機山は武田信玄。子供の時絵本で観たこの場面「流星光低 長蛇を逸ス」で、つまりは謙信の振り下ろした剣を信玄が鉄扇で払う場面。「粛粛」は上杉方の軍勢が馬に当てる鞭の音もひっそりと静かに千曲川を渡る情景で美しいが、安倍側の「粛粛」には「隠して〜」の意味が感じられて醜い。かような用例は「日本外史」を著した愛国詩人・頼山陽に失礼ではなかろうか。
○月○日 「李香蘭」こと山口淑子が94歳で去る9月7日没した。藤原作弥の伝記に加えて自伝もあるから、その数奇な生涯については良く知られていよう。私が思い出したのは,,,,参議院議員の時、大気汚染にからんで車の排気筒の高さが犬の鼻先の高さで、これでは犬の健康に悪い、犬がかわいそう、マフラーの位置(高さ)を買えるべしと提案して、本多勝一から「犬と人間のどっちが大事か?」とやられたこと。今、本多の本が手元にないので記憶だけで書くガ大筋はこんなところだった筈。毒殺される犬猫が恐るべき数の今、愛犬家連中はこのやりとり、どう思うだろう
○月○日 印度国営テレビのアナウンサーが同国訪問中の習近平の名前を読み間違えて気の毒に馘首にされた。だけどこれ北朝鮮であの3代目の名を間違えたりしたら死刑だろうな。
○月○日 ここ数年甲子園で、苦しいピンチでも笑顔、負けても笑顔が増えている由。笑うと体全体がリラックスしてプラス思考になれるからだ、とは心理学者の弁。0-8の9回裏に9点挙げて逆転勝ちした、石川星陵の中村投手がその最大たる例の由。時代が変わったなと思う。昔私が栄高校で野球選手だった時、苫小牧東高と王子製紙の野球場での試合で負けそうに成り、皆悄気(しょげ)たので、こんな時こそと「ドンマイ、ドンマイ」と声を出してニコニコしていたら、人の心も知らずにスタンドから「真面目にやれ!」 と野次られた。私のニコニコは時代に先んじてた訳だ!!ハハハ。
○月○日 6歳の女児が母親と映画「月形半平太」を観に行って来て、家族に報告して曰く「チクワトハンペンタ、見てきた」と可愛いね。「春雨じゃ濡れていこう」との名台詞の主のこの勤王の志士は、行友李風(ゆきともりふう)の創作だが、行友は土佐の武市半平太と、薩長同盟の下地をつくった福岡の月形洗蔵をあわせたのだ。私の書棚にある平凡社の「現代大衆文学全集」(昭和2年)には、行友の滅法面白い「修羅八荒(しゅらはっこう)」が入っているが、今じゃこの人を知る人は少なかろう。
○月○日 「団扇=うちわ」とは元、貴人が自分の顔を隠すために用いたものというーと辞典にも出ている、元はそうだったろうが、発明されてからは庶民だってそれで顔を隠した訳だ。
この歴史ある団扇でみっともない事をしてくれたのが安倍の女友達。先月号で私は、私の母親ならこういう女とは付き合うなと言うに違いないと書いたが、いわないこっちゃないの団扇辞任。ところで、「みっともない」は「見たくもない」が変化した「見とうもない」が語源で、「見苦しい」の意。この最初の「見たくもない」が北海道弁では「ミッタクモナイ」と変わって、例えば函館では「あんなミッタクナイ女、どうして嫁にしたもんだか」と使うと、石垣福雄の「北海道方言辞典」にある。
○月○日 栗大好きの私が「もういいわ」と言う程、今秋は連日栗を食べた。で思い出したのは「火中の栗を拾う」なる諺。これ「三国志」にでも出て来そうな言葉だが、どの辞典にも「イソップ」が典拠と言う。ところがこれは間違いで、「ラ・フォンテーヌ寓話」にでる「サルとネコ」が典拠、としたのは私が信頼するナチュラリストの安立輝一だったということを今季最後の栗を食べながら書いておく。