司書独言(217)

◯月◯日/①罵詈(ばり=悪口を言うこと)、②讒謗(ざんぼう=中傷すること)、③中傷(ちゅうしょう=中も傷もヤブるの意=根拠のない悪口などを言って、他人の名誉を傷つけること)(以上新明解)。

辻元議員に攻撃された安倍が、辻元の弁は自分に対する「バリザンボウ」だと言った。しかし如上の説明によって判然とするように、辻元は「根拠のない」悪口を言った訳ではない。安倍達が使いたがる言葉で言えば、「FACT」を並べて攻めた訳で、これまた菅流に言えば、これは「ザンボウ」には当たらない

◯月◯日/知ったかぶりして墓穴を掘った感じの安倍だが、いつも気になるのは「いわば」とか「まさに」とか「〜の中において」とかを連発しつつ、妙な所で区切るあのしゃべり方。国語の朗読で安倍式をやれば、小学校でも落第点を取ることははっきりしているね。国語力ゼロの安倍や麻生が率いる内閣のもとで、これまた文化の香りのない荻生田がトップの文科省なんてのが、よくまあ、大学入試で「国語の記述式」なんて事に首を突っ込むもんだなあと呆れるばかり。それこそ「身の丈」を考えて動いて欲しいもんだ。

◯月◯日/大阪のカジノに米国のMGMとオリックスの共同企業体が応募したと報道された。オリックスと言えば、確か球団だよな。私はそこにどんな選手がいいるのか、強いのか弱いのかも一切知らないが、これで思い出したのが、いつだったか忘れたが世間を騒がした「野球賭博」。そういえばこの事件に触発されたかどうか知らないが、確か有馬頼義にその手の小説があったなと思い出して書庫に入ってみたらあった。日本シリーズの優勝に絡む八百長を追った推理小説で題して「黒いペナント」。そのうち読み返してみよう。

◯月◯日/2月末、米国カリフォルニア州の下院で、第二次世界大戦中に米国政府がおよそ12万人強の日系人を敵国民として、砂漠を含む苛烈な気候の土地10ケ所に設けた強制収容所に収監した、いわゆる人種差別的な行為に対して、公式に「謝罪する」との決議案を全会一致で可決した。この強制収容については多くの本が書かれて、私も「あんな本、こんな本」で取り上げたいと思っているが、まだ果たせないでいる。この謝罪案はトランプの目に余る排除の姿勢の中に、一つの良心的行為が現れたということで、気持ちがいい。

◯月◯日/ところが同じわが国では「空襲被害救済法」の制定を求める決起集会があった。いわゆる戦災孤児を含めて米国の空襲によって生じた民間の被害者を見捨てたままにしているのは日本だけだ。カワイアンリなんてな者に1億5000万円も直ぐに動かせる政権担当者の自国民に対する非人道的態度、本当に腹が立つな。

◯月◯日/同じく2月末、東南アジア、カリマンタ島のブルネイで新種のカタツムリが見つかったとて、これに環境保護団体のグレタちゃんの名が付けられた。その名前は「クラスペドロピス・グレタトゥンベリア」。これで思い出したのは2018年6月にわかった日本は小笠原諸島の在来カタツムリの悲劇。南太平洋の島に住むニューギニアヤリガタリクウズムシなる10センチ長のひも状の虫がカタツムリなどの陸貝類を襲い焼く割を絶滅させたのだ。在来カタツムリもあと10年で危うしと言う。グレタの威光でリクウズムシが参ってくれぬものか。

◯月◯日/苫小牧はカジノの調査費にナント8千万円使ったそうな。もったいないとはこの事だ。道知事が一応現在はカジノをしないとしたのに対し、まだ続けると力んでいる。かと思ったら駒沢大学では2019年に教職員の雇い止めをして、結果は100科目が閉講、その上止めさせられた教員が担当していた講義を事務職員にやらせていると言うから無茶だ。学生こそいい面の皮だ。経営陣も何考えているのだろう。

◯月◯日/2月中旬、福井の敦賀市で脱原発を目指す首長会議が開かれ、原発の放射能汚染水を海洋放出しないよう求める声明を出した。ところがその後,竹田恒泰がかつてタカジンでやっていた番組で、この汚染水を減らすには「打ち水」がいいと発言したとわかった。何と非人道的な発想だろう。物事をおちょくるにも程がある。知ってか知らずかメディアはどうしてこれを問題視しないのか。竹田も自邸で打ち水して行水でもしたら?

◯月◯日/原発といえば、3月に入って日本原水爆被害者団体協議会が4月にニューヨークの国連本部で開く筈だった「原爆展」について、外務省が展示のパネルが悪いから後援できぬと言い出した。何が悪いのかと言うと①東京電力福島第一原発事故、②チェルノヴイリ原発事故を扱った2枚のの写真が良くないと言う。そしてその理由は、外務省が言うには、この「原爆展」「核不拡散条約(NPT)」を検討する会議に合わせて開くもので、このNPTは原子力の平和利用も掲げるものであるから、先の2枚はふさわしくない云々。

◯月◯日/何を寝言みたいな事ぐちゃぐちゃ言ってんだか。福島もチェリノブイリもれっきとした人災だ。平和を目指せばこそ、「原子力」なるものを迂闊に扱ってはなりませんぞ、その証拠にこれをよく観てよく考えてくださいとの意味を込めて、その被害の最たる写真を出している訳で、現に国連自体からはナンノ干渉もない。私はこの欄で何度も、行政が半可通な知識で文化の問題に猪口才(ちょこざい=子生意気なこと)な口出しをすべきでないと言ってきた。こんかいも同質の問題だ。

◯月◯日/コロナの最中、高校生も中学生も家にいては退屈だとて盛り場に出かけている。こんな時こそ本読んだらいいのにと思っても、読書の習慣のない人間には無理だ。と思っていたらカミュの「ペスト」が売れているそうだと新聞にある。いいニュースだ。アルジェリアのオラン市でペストが流行、医師のリューを中心にした衛生班が生命をかけてペストと戦う話だ。新潮社文庫に入っている。このペストは病菌であると同時に悪、不正、暴力などの象徴だ。これに打ち勝つには連携が必要だとカミュは訴える。高二の時に読んだ。久しぶりに出してみよう。

◯月◯日/今月の「あんな本、こんな本」で紹介した蔵持不三也の「ペストの文化誌」の巻末には圧倒的な量の参考文献があって、読書欲をそそられるが、カミュ本同様タイトルに「ペスト」が付くウイリアム・デフォーの「ペスト」もついでにあげておこう。中公文庫で出ている。この人言わずと知れた「ロビンソン・クルーソー」の作者。これも訳名は「ペスト」だが原題は「疾病流行期」1664〜65にかけてロンドンで起きたペスト騒動の詳細きわまる記録。「ロビンソン・クルーソー」が書かれていなくても、これで文学史に残ると言われる傑作だ。

◯月◯日/もう一つ。文学好きから今更そんなことと笑われるだろうが。ペストで連想される古典も出しておこう。ボッカチオ作の「デカメロン」(岩波文庫)だ。これ1348年のペストの難を逃れて近郊の別荘に出かけたフィレンツェの男3人女7人が退屈しのぎに毎日何かしら面白い話を1人1話=10話を10日間に亘って互いに話して聞かせると言う趣向の物。デカメロンとはギリシャ語で「10日物語」。中には好色物も含まれていて、戦前は発禁になったものだ。外出禁止?のこんな時こそ手にとってみては!なんてことを書いていると、中、高、大と各種の「世界文学全集」を読みあさっていた時代を思い出すね。

◯月◯日/今「#KuToo」なる言葉が注目されている。これ周知の如くに「靴」と「苦痛」を合わせた言葉で、職場では男女の別なく平べったい靴をはきましょうと言う運動。当たり前だ。この運動に対して国会で安倍が「パンプスの着用を強制するような、苦痛を強いるような、合理生を欠いたルールを女性に強いるのは許されないのは当然のこと」と発言した。以前、党首討論で「夫婦別姓」(だったか)の是非を問われて安倍だけが賛成の挙手をしなかったことを思えば、少しは人権感覚に目覚めたようだ。

◯月◯日/我が家にはハイヒールが一足もない、と言うのは我妻さんが今はいくらか縮んだとはいえ元々172cmの身長でハイヒールをはいた経験がないからだ。ハイヒールといえば、昔何かの閲兵式みたいな所で佐藤栄作の奥さんが旦那の後3尺程下がってハイヒールでピョコピョコとついていく。その姿の無様な事と言ったらなかった。つくづく気の毒になったが、むしろ和服の方が良かったろうにな。私はハイヒールに何の思い入れもないが、男の中にはこれでムラムラする者もいると言う不埒な話を思い出した。

◯月◯日/昔六本木にSMを売り物とする「ブルーシャトー」なる秘密クラブがあって、そのS役の店主が随筆集を出した。書名は忘れてしまったが、読んで驚いたのは客に政府筋が沢山いたことで、中でも呆れたのは父子2代総理大臣を務めた某の親の方。店主によるとこの首相は来店すると裸に金時の前掛け(というか腹巻というか)を着け、体のあらぬ所をハイヒールをはいた店主にグリグリと踏まれるのが好きだった由。この男またこの姿で哺乳ビンをくわえるのも好きだった由。おかしな奴もいたもんだ。

◯月◯日/と書いて思い出した事がある。随分昔、北海道新聞の「朝の食卓」を2年間担当した時のこと、私は札幌の「そば紋」と言うそば屋のことを書いた。この店の店員は(今は知らんが)皆セーターの仕着せで、そのちょうど胸乳の所にSMの頭文字が刺繍してある変ったものだった。すると担当者からtelが来て「妙なことを書かないでくれ」と言う。「何が?」と聞くと、SMが読む者に妙な連想をさせるからと言う。そのあとのやりとりは忘れたが、こちらのネバリでその文章は無事載った。

◯月◯日/SMの連想でもう一つ。戦後「トップ屋」の綽名で鳴った梶山トシユキ(だったか)なる敏腕記者がいて、この人が全国のSM夫婦を主として珍夫婦をルポした本(これも書名を忘れた)がある実に面白い本だったが、感心したのは世の中にはこれ程凡人たる俺の想像を超える人間がいるのかと言うこと。一言で言えば、その多様性に本当に驚いた。(金子みすずじゃないけれど)皆違っていて、それでいいのだの世界だった。人種だ、血統だ、万世一系だなんて麻生こそ余程珍種だ。

 

 

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