第389回(ひまわりno205)東洋陶磁美術館、 南蛮美術、「否定と肯定」

2018.7.16寄稿

昨年春、建築家の西方君夫婦らと奈良、京都、大阪の美術館巡りをした。西方君の仕事仲間で、大阪に事務所を構える天野さんの車で動いたので,迷うことなく、すこぶる効率よく、6、7館も見る事ができた。 続きを読む 第389回(ひまわりno205)東洋陶磁美術館、 南蛮美術、「否定と肯定」

第388回(ひまわりno204) ターナー、セザンヌとゾラ、奇形全書

2018.6.16寄稿

アイルランド生まれで、アメリカに帰化したフランク•ハリス(1856〜1931)と言う作家がいる。ロンドンで最初新聞記者として働いたので、当時のいわゆる「世紀末」の作家達と仲間だったことを利して、彼らの私生活を暴露するのを得意とした。一方、自分の私生活を描いた「わが生涯と愛人たち」も書いたが、これは赤裸々な性愛描写がが災いして発禁になったがアメリカでは公刊され、これが妙訳ながら「フランク・ハリスの日記」として日本でも出た。早速買って読んだが、中でも今でも覚えている一つが、「ターナーの死後、春画スケッチが2,000枚余りも出てきた」と言う意の一文だ。「へえー、ターナーがね」と驚いたが、画家は自分の画技上達のために春画を描く、つまり「女性の恍惚の表情がうまく描けぬでは画家とは言えぬ」なる説もあって、日本でも文化勲章受賞の画家たちがほとんど、あの美人画の上村松園にも春画があると知っているから、まあターナーが描いたとて、別段奇なることではない。

ところで、そのジョセフ•マロード•ウイリアム・ターナー(1775〜1851)はその光の独特な処理法でフランスの印象派に影響を与えた。我が国でも早く、夏目漱石が「坊ちゃん」の中で例の赤シャツと野だいこの「ターナー知ったかぶり」を書いているが、野だいこが言う「ターナーの松の下にマドンナを立たせよう」なる発言、つまり「松とマドンナ」の並列は西洋美術史上珍しいことで、これはターナーの描いた「バチカン宮殿」に画中画としてラファエロのマドンナ像とターナーの松があることを漱石が知っていたからでは?と美術史家の高階秀爾は言う。

それはともあれ、目下東京の損保ジャパン日本興亜美術館で「ターナー風景の詩」展が開催中.1984年にはターナーの海辺の風景画が23億6千万円で競り落とされ、これはその時点で絵画競売史上の最高額だった。我妻さんは観に行こうと言うが、当節新幹線も飛行機もおっかないからOKは出さず、代わりに書庫からジャック・リンゼーの本を出して来たら、中に大学時代の同級生、治子の「ターナー作ドーバー海峡」の絵葉書がはさんであった「今ジョン・メーシーの世界文学史物語を読んでいる」などと書いてある.1985年6月7日の日付だ、懐かしい.半年程前ターナー主人公の伝記映画も出た。床屋の息子のターナーが」傍若無人に上流階級に踏み込んでいく。面白かった。「ターナー生涯と芸術1

ダニエル・トンプソン監督の「セザンヌと過ごした時間」を観た。画家ポール・セザンヌと共に、の相手は作家のエミール・ゾラ。この二人南仏の小都市エクス=アン=プロバンスのブルボン中学で同級生だった。映画の中でイタリア人だといじめられるゾラをセザンヌがかばう場面があるが、ゾラは今問題の移民、難民ではなくて、父親はパドヴァ大学出身の数学博士で軍人ののち民間の技師となって鉄道工事他に従事した人だ。私はゾラが大好きでほとんどの作品を読んできた。ゾラはパリに出てアシェット書店で勤めながら、小説家として頭角を現していく。一方セザンヌは画家たらんと欲するも、展覧会には落選続きで一向に芽が出ない。その落選ぶりたるや、保守的なサロン展に出展して落ちた連中、つまりは印象派の連中の作品を展示した「落選展」にも落ちるありさま。此処に至って、成功者ゾラはバルザックの「人間喜劇」全100巻にも比すべきルーゴン・マカール叢書を書く。これ、ルーゴン家とマーカル家が婚姻で結ばれた結果生まれてくる幾多の人間が、互いに人生の種々相を展開するという一大人生絵巻。中に「制作」なる作品があって、これ制作に行き詰った画家が自殺する話。世人はこの画家のモデルは失敗続きのセザンヌだと言い、セザンヌ自身もそう信じた。ゾラとセザンヌの友情はこれを持って決裂する。この決裂説を唱えたのは美術史家のジョン・リュウオルドで私も森光二郎訳・青磁社・1943年刊の「セザンヌ」で知った。今も本棚にある。この映画もこの説に立っている。しかし、これはリュウオルドのこじつけで、二人は決裂していないとするのが、日本の新関公子。私は2000年5月9日付け「本の話」NO.291でこの問題を取り上げたが、この映画中々面白いので、改めて此処にこの本を出す。貴方はどちらの説をとるか?

「セザンヌとゾラ2

ドキュメンタリーの「ヒエロニスム・ボス」DVDになったので観た。ボスの「快楽の園」を解析する作品だ。ボッシュまたはボス(1450年頃〜1516)はオランダ、フランドル派の画家。奇怪な空想と鋭い写真が結びついた特異な画風で知られる。(と「大辞泉」にある。)これ昔、プラド美術館で見た。「快楽の園は」何を描いているのか私には説明できない画集を見てくれとしか言いようがない。あるいは画集を見つつ、中野孝次の「『快楽の園』を追われて』を読むと理解の助けになるかもしれない、としか言えない。それほど訳の分からぬ絵なのだ。

「快楽の園を読む3

先ずロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの「人は傑作に感動すると、自らの声に耳を傾ける。その心の声こそが芸術家を動かす真実なのだ」とのコメントが出る。なるほど。(タルコフスキーの映画は昔、日曜日になると札幌似通って観た。イコン画家アンドレイ・ルブリョフなど全部見たが今は措く)次に現代美術家、中国の蔡国強(ツアイ・グオンチャン)のコメントが出る。「東洋人にとって絵画とは物語を紡いでいく文字の代わりとなるもの。例をを挙げるなら、中国の”清明上河図”」オッ!!これ「ふくろう文庫」に4種あって4月21日、22日とモルエで展示したばかりだ。この言葉はいいヒントになる.あの絵を見ると確かに観る人は心の中で各自の物語を紡ぎ始める。そうか!!ボスの絵もそうやって観ればいいのか。それにありがたいことに神原正明のボス解説の本もある。素晴らしい出来のミュージカル「グレイテスト・ショーマン」を観た。社会から疎外されていた人達=フリークを舞台に登場させて、世の偏見を跳ね返し、彼らの居場所を作った興行師バーナムの実話だ。フリークは「異形のもの」その総まとめ本として「奇形全書4 」を出す。表紙はボスの絵だ。W・ヘルツオークの「小人の饗宴」もトット・ブラウニングの「フリークス」もDVDになっている。「フリークスを撮った男、トット・ブラウニング伝」(水声社)、レスリー・フィードラーの「フリークス」(青土社)ヤン・ボンデソンの「陳列棚のフリークス」(青土社)etc.もある。読み、かつ観て、人間の多様性を知ることで寛容な人間になりたいものだ。

  1. ジャック・リンゼー高儀進訳.ターナー生涯と芸術.講談社(1984) []
  2. 新関公子.セザンヌとゾラ.ブリュッケ(2000) []
  3. 神原正明.快楽の園を読む.河出書房新社(2000) []
  4. マルタン・モネステェ.奇形全書.原書房(1999) []

第387回(ひまわりNO203)女はなぜ土俵に上がれないのか. 城市郎「発禁本」

2018.5月寄稿

私の兄弟は皆、小学校に上がると母からスクラップブックを与えられて、それで通信簿や運動会でもらった賞状などを自分で貼っていくことになっていた。そして中学校に上がると、今度はアルバムを貰って、今までたまっていた、ということは小学校時代からの写真をそれに収めるのだった。カメラなんかはそうない時代だから、数は限られていたが、それでも高校を出る頃には結構な冊数になった。父母に関するものは兄のアルバムが一番充実していて、それは先に生まれているのだから当然だが、その兄もアルバムに若き父と並んだ横綱男女川関に抱かれた赤ん坊の兄が写っているのがある。ズラリと並んだ関取達と、前に居並んだ日本髪姿のきれいどころの真ん中に若い父が嬉しげに笑っていて、これは父が相撲の勧進元をつとめた時のものだという。兄は昭和4年の生まれだから昭和5年頃の写真だろうが、このせいでもあるまいが兄は今でも相撲好きだ。一方私は戦後民主主義教育を受け野球少年として育った口だから、何をおいても見なければと言う程のファンではない。今では殆ど観なくても、残念でも何でもない。只相撲についての考証は好きだから本棚にはその関係の本が4、50冊は並んでいるし、又この「あんな本・こんな本」でも2004年の12月号(no50通算ではno.233)2010年の8月号(no115.同じくno299)で相撲を取り上げていて、①宮本徳三「相撲変化」(ベースボールマガジン社)②山田知子「相撲の民族史」(東京書籍)③平林章仁「七夕と相撲の古代史」(白水社)④谷川徹三「日本の相撲」(ベースボールマガジン社)(以上no50)宮本徳蔵「力士漂白」(ちくま学芸文庫)内館「女はなぜ土俵にあがれないのか」(幻冬社新書)(以上no115)を紹介してきた。バックナンバーhttp://t.yamashita/info参照。 さて、今度のさわぎだ。市長の生命を救いに行っているのに土俵からおりろ、女子小学生もダメだetc.そして言い訳は「伝統」その伝統なるものが殆ど明治以降に金もうけのうまい知恵者によって作られたものであることetcは前に列挙した本を読めば一目瞭然だから、ここでは再説せぬ。只 内館の「女はなぜ土俵に上がれないのか1  」

は、今のさわぎに対する根本的答えとなるものだから再度上げておく。それにしても「女が不浄」だなんてよくも言うもんだ。土俵の上で賞状渡している政治屋連中の方が余程ヨゴレテイルダロウニ。これを書いている今日は4/13財務省のNO2とやらの福田某のセクハラが問題になっている。女は不浄とする相撲協会の連中を初めとして同じ考えの世の男共に言いたい「なんで不浄な女をだきたがるのか」と。言っておくが私は「女は不浄」なぞと只の一度も思ったことはない。荒俣宏(博物学者』は、花道、化粧回、化粧水、土俵の内外に女を匂わせる小物がいくつもみつかると指摘する。「女人禁制」を唱える相撲協会の連中からこの謎の答えをもらいたいものだ。「スー女のみかた」を書いて”応援絶対主義”をとなえる和田静香さん、ファンをとりまとめて入場券不買運動でも起こした方が、相撲界の浄化に役立つのでは!!

私が室工大にいた頃だから、もう30年も昔のことだが城市郎が蔵書を「一億円で引き取ってもらえぬか」との話が新聞に出た。城市郎と言えば、初版本蒐集から発禁本蒐集に移って名のある人だ。発禁本蒐集をすすめたのは書痴・斉藤昌三だった。城の本を出る都度読んできた私は、直ぐに当時のA学長にこれを本学で引き取れぬかと話した。先生の専門はコンクリート工学の構造計算で、その専門に比して通常は頭の柔らかい人だったが、この時は「山下君、いくら君の意見でも好色本はむつかしいよ」と断られた。これは先生に失礼ながら実は短慮であって、というのは「発禁本」は別に好色本ばかりではない。権力側が言論、表現、出版に加えた弾圧本の総体が「発禁本2 」であって、それには政治、社会、芸術etc.あらゆる分野の本が含ま

その後ある時私はこの話を柴垣弁護士に話すと「1億円か一人100まんとして00人、私なら出すな」と言ってくれたが、かような人は多くはいないから、この話はたち消えとなった。ところが先頃明治大学が城の蔵書を受け入れたと発表した。同大は先にも百科全書的学者の林達夫の蔵書を引き取って、図書館に林の書斎を再現した。具眼の士が上にいるかいないか差が出る話だ。小判の前の猫が上にいる所では全てが不毛になるという理屈だ。平和体制の幕政を武力で倒して維新という名の混乱をおこした長州の子孫たる安倍が「明治150年」を祝おうと張り切るかと思えば、プーチンもロシア革命100年を言い出している。

スターリンの「大粛清」で殺されたもの200万人、富農撲滅や強制労働で死んだ者の総数2000万人。こんな数字を背景に史家ドミトリー・シャホフスコイが「ロシア革命は過ち」と断じているが、人権無視の点から言っても当たり前だ。この悲劇の100年を描いて、一寸変わって、しかも面白い本が出た。「諷刺画とアネクドートが描いたロシア革命3 」がそれ。実に上手くまとめてある。

昔モスクワの「赤の広場」に並んでレーニンとスターリンの遺体が並ぶ地下神殿を見た。氷点下40℃に近い日で、兵士が次々とカメラを取り上げて(預かって)いく。カメラの革ひもがバリバリに凍って首から外すとU字形に棒の如く立っているのには驚いた。スターリンの死体の前で我妻さんにささやこうとしたら、鋭い目付きで制止された。まあ、話の種としていい思い出だ。

ジム・ジャームッシュの変わった映画「パターソン」を観たアメリカはニュージャージー州の町パターソンというバスの運転手の変哲もない1週間の生活を描いたもの。この運転手がこの町出身のアメリカの現代詩の3大詩人の一人にあげられるウイリアム・カーロス・ウイリアム4 」の詩が好きでーという設定にびっくりしていたら、長瀬正敏が扮する大学教授が「詩集パターソン」を手にして現れたに又びっくりした。観終わって実に久しぶりに彼の詩集を本棚から取り出した。大して馴染んだ詩人ではないが、これ5月号だから次の詩を紹介しよう。「花咲くイヌアカシアの木」だ「みどりーのーあいだ/かたいーふるいーひかる/やぶれたー枝ーから\しろいーやさしい五月ーが来る」3行でーの所はあいている。

  1.  内館牧子.女はなぜ土俵に上がれないのか.幻冬舎新書(2006) []
  2. 城市郎.発禁本.桃源舎(1965) []
  3. 若林悠.諷刺画とアネクドートが描いたロシア革命.現代書館(2017) []
  4. 片山ユズル・中山容訳..国文社(1965) []

第386回(ひまわりno202)男色の系譜、三島、江戸川乱歩、岩田準一

平成30年3月寄稿

先日千歳のホテルで、私としては珍しく遅くまでテレビを観ていた。丸山明宏(今は美輪明宏)が出ていて、若いタレントに昔話をしていた。今81歳というから、昭和11年か12年位の生まれか? 続きを読む 第386回(ひまわりno202)男色の系譜、三島、江戸川乱歩、岩田準一

第385回(ひまわりno201回)田岡嶺雲全集第6巻、北越雪譜、秋山紀行

2018.2月寄稿

過ぐる2月4日、新聞に驚嘆すべき知らせが出た。その見出しは「半世紀をへて田岡全集完成へ」。中身は「明治、大正期の文芸・社会評論家で、中国文学研究者でもある、田岡嶺雲(たおか・れいうん)の著作を網羅した西田勝編『田岡嶺雲全集』の第6巻(法政大学出版局/¥20,000円)がしゅっぱんされました。第7巻も18年中に刊行の予定で、1969年の刊行以来、半世紀をへて完成します。第6巻は荘子、蘇東坡ら中国の歴史的人物の評伝と最晩年の評論を収めています」。 続きを読む 第385回(ひまわりno201回)田岡嶺雲全集第6巻、北越雪譜、秋山紀行