第083回  和田芳恵のこと

`95.12月6日寄稿

11月15日に母を失った後、矢張り疲れた(と言うと、親不孝な言い種ですが)ので、温泉に行って来ました。

日本海の臼別温泉は、明治20年(1887)開設の古い温泉で、江戸時代の文人、旅行家、菅江真澄(ますみ)も浴したと言う名湯で、最初ここにしようかと思ったのですが、最近、湯が濁ったとかで、年内は閉鎖との知らせが入ったので、近くの貝取澗(かいとりま)温泉に変えました。はじめ、八雲から日本海にぬけようと考えていましたが、宿の人の助言で、なだらかだと言う、国縫(くんぬい)からの道を取りました。

国縫は、八雲と共に、かつて北海道最大の砂鉄鉱業地域だったところで、現在は酪農と、ホタテ養殖とで生活している町です。

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第185回 ハックルベリィ・フインの冒険

`01・7月18日寄稿

大江健三郎の語るところによると、彼は10才の時に、マーク・トウェインの「ハックルベリィ・フインの冒険」を読んで感動し、「自分の生き方は‘よし、 地獄に行こう’というやり方にしようと思った。」そうだ。
この所を一寸説明すると、小説の中で、ハックは逃亡奴隷の黒人ジムと行を共にするのだが、この当時(1840年頃)は、アメリカで奴隷制度が健在で(と 言うのも変だが)、奴隷が逃亡することと、逃亡した奴隷を助けることは、共に違法であった。 続きを読む 第185回 ハックルベリィ・フインの冒険

第067回 氷の文化史と風呂屋の富士山の本

`95.3月3日(金)寄稿

各地から、雪祭りや、氷祭りの便りが来るなと、思っていたら、先日、朝のラジオで、中国はハルピンで、氷祭りが始まり、日本からも、新潟、旭川、網走、札幌、函館の板前やら、コックやらが、数人氷像造りに参加した、とのニュースが報じられました。 続きを読む 第067回 氷の文化史と風呂屋の富士山の本

第066回 昭和新山「麦圃生山」写真集

`95.2月16日寄稿

太平洋戦争の時、私は国民学校生(=小学生)でしたが、一時洞爺湖畔に兄弟揃って疎開(そかい)していました。父の友人が今の「ホテル万世閣」の前辺りに住んでいて、その離れを借りたのです。その頃の洞爺湖畔は,今のようにホテルや旅館が林立していませんから、朝起きると日本手拭を持って通りを横切り、湖畔に下りて行って、顔を洗い、口を漱いだものです。 続きを読む 第066回 昭和新山「麦圃生山」写真集