第227回 ツヴァイクとシュトラウス

`04.6月寄稿

誰もがそう思って呉れないと言うのが甚だ歯がゆい所なのであるが、実は、私は何を隠そう大のロマンチストなのである。ロマンチックどころかロマのチックと言いたい位なもので、“えっ、ロマのチックって何だ?って”これは私の感覚内の話で、ロマンチックより数等濃い状態のロマンチックを指すの。間違っても、ポマードの友達みたいな「チック」だの、何やら気になって仕様がない「チック現象」だのを想像してくれるなかれ。さて、ロマンチストの私は、理の当然として切ない話が大好きだ。と言っても...江戸時代に横井金谷(きんこく)なる変な坊主がいて、これが東海道だかを歩いていて銭がない。腹が減ってどうにもならなくなって、人の畑の大根を抜いて生のまま齧った所が、腰が抜けて、挙げ句の果てに下痢をしたとかしないとかで切なかった、と言う話があるが、私のは何もこんなジアスターゼが効き過ぎた高峰譲吉博士の切なさみたいなものではない、断じて。

私の好きな切なさ、と言うのは、切ない恋の事なのだ。人目をしのぶ、或は相手が気付いて呉れぬ、と言った身も細る思いの恋、僕あれが好きだなー。

そんなロマンチックな私にとって、高校2年の時に読んだ、シュテファン・ツヴァイクの「未知の女の手紙 」は、正しく切なさの見本みたいな、いい小説だった。

私が読んだのは川崎芳隆訳の角川文庫版で、タイトルは「見知らぬ女の手紙1 」だった。19世紀初頭のウイーンを舞台に、1人の男をひたむきに愛するいじらしくも愛らしい女心を、ロマのチックに描く、この胸かきむしられるような名作は、すでにアメリカで映画化(1948)されていたが、折よく私がこの小説にめぐりあった昭和28年頃に室蘭に来た。今中央町のアーケードの中になっているダイエーパチンコ屋、当時の「東宝」で私はこれを観た。題名は「忘れじの面影」

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ひたむきな女は美女、ジョーン・フォウンティン。不実な男をルイ・ジュルーダン。因みにジョーンはこれ又美女のオリヴィア・デ・ハヴィランドの実の妹で、二人とも日本生まれ、おまけにジョーンは聖心女子大で学んだから、つまりは美智子皇后の同窓生...てなことは私にとってどうでもいいことで、とにかく私は、“涙コ、ジャッジャコ流れる”でこの映画を観終えたのだった。

そして私は、この小説...その文庫にはもう一編、これも切ない情熱の物語「愛欲の海」(原題アモク)」が入っていた筈,,,を初恋の、だが仲々思いが届かないーあれ、鈍感体質だったかな?ーO子に貸したのだった。私のひたむきな恋心を察して欲しかったからであある。それなのに、あー、それなのに!!

O子が私に“じゃ私も貸してあげる。今一番好きな小説”とのせりふと共に貸してよこした本は、おどろくなかれ皆々様、ジョセフ・ケッセル作、堀口大学訳の「昼顔2 」なのであった。どうして。おどろくことなかれなの?って、だって貴方!!この「昼顔」なる小説、文学辞典になんと解説してあると思う?...“貞淑な女性の娼婦性を描いた昼顔は、映画でも知らせる”とあるんだよ。

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その映画は昭和41年に、曲者監督、ルイス・ブニュエルによって作られ、夜は貞淑な妻、昼は娼婦(夜・昼間違ってはいませんぞ)という二つの顔を持つ女セリーヌに、あのカトリーヌ・ドヌーブが扮して、肉体と心の矛盾、情熱と純愛の相克を演じ切った、...と評された。ドヌーブが息をのむほど美しいと言われ、絹(だろう)のネグリジェ越しに見えるドヌーブの裸が、世界中で取り沙汰されたものだが、先日改めて、念の為観てみたら、時代と言うものは、否、時の移りと言うものは恐ろしいもので、当節チラシに入ってくるパチンコ屋の宣伝広告で、何故かブラジャーとパンティだけのミ身装(みなり)で、ズラリと並んでいるタレント達の方がドヌーブよりインパクトあるなあ...なんてことは、私にはどうでもいいことで、ー私の言いたいことは、ロマのチックの私が、純情ムキダシに貸した切ない切ない恋の物語に対してO子が貸してよこした、純情ヘッタクレ、まさしく大人の女だけが理解するであろう、複雑な女心を描いた愛欲の物語ーこの落差は大きい、いや大き過ぎる。げに、恐るべきはよのう。

青っぽい高2の男の子と、成熟した、いやしてた高2の女の子...いかなロマのチックの僕とても、こりゃ、太刀打ち出来んと観念したわね。

さて、こんな非常な女を相手にしている時間はない。私は、すぐに理知的生活に戻って(と言うのもあやしいが)、ツヴァイクのものを更に読み進んだ。そして、私が多大な感銘と影響を受けたのが、高橋禎二訳、青磁社版の「エラスムスの勝利と悲劇3 」だった。

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“戦争は身をもって体験したことのない人々にのみ美しく思われる”と自身の格言集に書いた中世後期の人文主義者エラスムスは、“狂信”を嫌った人だった。この本ともう一点、原田義人訳ツヴァイクの自伝「昨日の世界4 」全2巻で、私はツヴァイクの良き読者となり、後年、みすず書房からでた全21巻の全集は2度買った位だ。と言うのは、東京から引っ越しの時、この全集を入れたコンテナ一個が行方不明となって...と言う訳で、私が今、折に触れ本棚から出す全集は、最初の函入りのものではなくて、2度目の函ナシの方である。

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と、ツヴァイクにからむ思い出を語って来たについては理由があって、それは、山田由美子の「第三帝国のR・シュトラウス5 」の出現だ。これは、実に出色の本と言わねばならぬ。ヒトラー支配下の第三帝国で、マーラーは?フルトヴェングラーは?ワグナーは?と種々論じられて来た中で、見たところ、親ナチと思われていたR・シュトラウスについて、これ程明快に分からせてくれる本は初めてだ。しかも、シュトラウスがヒトラーに抵抗するに当って、のツヴァイクが一枚も二枚も噛んでいた、と知ることは実に嬉しいことだった。シュトラウスとツヴァイクは確かにヒトラーに勝ったのだ。

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事を全体的に論じたケイターの本も悪くはないが、事、シュトラウス、それにツヴァイクについては、山田の本は素晴らしい。ツヴァイクを読んで来てよかった。

ところでO子は、未だ元気で、朝顔昼顔夕顔合わせたような顔をしている。

「第三帝国の音楽家たち6

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「シュテファン・ツヴァイク7) 」

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「ツヴァイク全集女の二十四時間8

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  1. 川崎芳隆訳.見知らぬ女の手紙.河出書房 (1954) []
  2. 堀口大学訳.昼顔.新潮社; 改版版 (1952) []
  3. ツヴァイク.エラスムスの勝利と悲劇.みすず書房 (1998) []
  4. 原田義人訳.昨日の世界.みすず書房(1999) []
  5. 山田由美子.第三帝国のR・シュトラウス。世界思想社(2004) []
  6. マイケル・H・ケイター.第三帝国の音楽家たち.アルファベータ(2003) []
  7. 河原忠彦.シュテファン・ツヴァイク.中央公論社 (1998 []
  8. ツヴァイク全集.女の二十四時間.みすず書房 (1973) []

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