`93.11.5寄稿
昭和36.7年だったと思いますが、所用で浜松に居たときの事です。目に何か入って一晩つらい思いをした私は、翌朝宿を出て、道を聞き聞きようやく一件の眼下を見つけました。早朝にもかかわらず「こりゃ痛かったろうね」と診てくれた医者は,眼鏡をかけた物静かな人でした。その頃,浜松の「谷島屋」などという大きな本屋には、「藤枝静男」なる作家のサイン入り本がうず高く平積みされていました。「藤枝静男」→静岡県藤枝市??
何だか「静岡づくし』みたいな妙な名だなあと,私は思いました。本は「凶徒津田三蔵1 」でした。
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津田三蔵は,明治24年(1891)5月に,来日中のロシアの皇太子ニコライを,パレードの最中に護衛に当る巡査の身でありながら,サーベルを抜いて襲った男で、世に「大津事件』として知られる大事件を惹きき起こした人物です。
ニコライ暗殺に失敗した三蔵は、裁判にかけられますが、からくも死刑をまぬがれて、釧路集治監に送られ、そこで肺炎で死にます。いずれは「皇帝」になる人を殺そうとしたこの男を、明治政府は、世界の最強国ロシアの報復を恐れて、「皇室罪」を適用して死刑にしようとします。
しかし大審院長(=最高裁長官)児島惟謙(いけん)らの法律家たちは、護憲の立場から、「ロシア皇太子は皇室の人間にあらず」として一般人に体する同様に、単なる「謀殺未遂罪」でさばいたのです。
この、日本全体を巻き込んでのー大歴史劇を描いた、吉村昭の「ニコライ遭難2 」小説仕立てですが、作者は人物に余計な思いを入れを語らせず資料をして語らせる態度をとっています。そのため淡々たる筆致のものですが、かえって、緊迫感みなぎる好著です。
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以前、同じ事件を扱った夏堀正元の「勲章幻影3 」がありました。こちらはニコライに斬りつけた三蔵を取り押さえた二人の人力車夫を軸に据えた(と言ってよい)小説です。
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命を救われたニコライは、この二人に2500円の恩賞金をと1,000円の年金という大金を与えます。一般家庭の一年間の生活費がほぼ36円だった当時この目もくらむような大金をもらった二人は当然のことにその人生を狂わせます。
これも非常に面白い作品でしたから、吉村のと合わせて読むと、一層興味がわくでしょう。
さて、この「大津事件」で一躍有名になったものがありました。それは、「竹」です。
「竹」??? そうです「竹」です。というのはニコライの人力車のうしろを従ってたのは、ギリシャのジョージ殿下でしたが、かれはニコライが襲われるのをのを見るや、人力車を跳び降りて三蔵に追いつき様手にしていた「竹」の鞭根杖(べんこんじょう)で三蔵をうちすえます。
倒れた三蔵を押さえたのが先の二人の車夫です。ニコライを救ったこの竹の杖は、ジョージ殿下が、琵琶湖の舟遊びのあと、滋賀県丁での物産会を見学の際に買い求めた栗太郡草津村の木村熊二郎出品のものでした。「鞭根」とは「竹」の地下茎のことで草津の名産です。このエピソードを含めて「竹」の話しを語った面白いほんが 上田弘一郎の「竹づくし文化考4 」です。
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※ (つけたし)、、、、静岡づくしの妙な名と思った作家「藤枝静男」の正体はナント、私を診てくれた眼科医だったのです。