`93.11.19寄稿
そろそろ初雪かな、と思われる今日このごろ、この夏栗山町の開拓記念館で開かれた「川上澄生展」で観た、「伊曽保(いそぽ)の譬(たとえ)ばなしより」の中の「蝉と蟻』を思い出します。ヴァイオリンを手にした蝉、鍬(くわ)や熊手に忙しげな蟻、収穫を終えて一服つけている蟻。それは左にあげたようなものですが、もともと折り畳むとちいさな4頁の本になるように造られたと言う愛すべき小品です。
「伊曽保」とは「イソップ」で、つまり紀元前6世紀、ギリシャはサモスに住んでいた奴隷でかつ寓話(ぐうわ=たとえ話)作家だった人で、彼が語ったものを集めたのが「イソップ物語」で、集めた人は、シリア人のバブリウスです。
このイソップや他の作家から材を得て、詩の型で寓話を作ったのは17世紀の詩人、ラ・フォンテーヌです。「ラ・フォンテーヌ寓話1 」
夏中、遊び惚けた蝉は、来年の8月迄に、元利揃えて返すから、麦を少々わけてくれ...と蟻に哀願します。
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ラ・フォンテーヌの筆をかりて、澄生作品の絵解きをしましょう。
蟻の内儀(かみ)さん貸すのは嫌い貸したりしたら玉に瑕(きず)「あなたは夏に何していたの?」借りての蝉に蟻は訊く。「夜昼となく、誰彼なしに歌を聞かせていましたの。悪く思わないで頂戴な。」「歌をうたって?そりゃ結構なこと、それなら今度は踊ったらどう」。 ー市原量太郎訳ー
さて、このラ・フォンテーヌの「寓話」の中の「樫と葦」を翻案する事で、創作寓話作家への道を歩んだのが、ロシアの17世紀の詩人で、かつ有能な図書館司書でもあったイワン。アンドレヴィッチクルイーロフです。「クルイロフ寓話2 」
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彼の作品は峯俊夫による全訳がありますが、その「巻の1、の第12話が上述の話しに該当します。クルイーロフでは、蝉がこおろぎに変わってます。
「こおろぎは蟻に麦を呉れ,,,ではなくて「せめて櫻の咲く頃まででも食べさせて、暖を取らせていただけませんか」とたのみます。「アンタは夏の間
働いていたんですかい」と蟻。「〜私はもう我を忘れて、夏中歌っていたんですよ」と蝉。「ずっと歌ってばかりですって。結構な事だ。だったらここから出て行って、今度は踊ればいいでしょう」...と蟻。ー峯俊夫訳ー
さて、この9月に内海周平の新訳が出ました。どうしたことか、内海の訳では「こおろぎ」が「とんぼ」に変わっています。
「ねえ蟻さん、わたしを見捨てないで!わたしを元気づけておくれ。せめて春が来るまで食べさせて、寒さから守っておくれ!。
「とんぼさん、そりゃおかしいよ。だって夏のあいだお前さん働いていたんだろう?」と蟻はトンボに言う。「それどころじゃなかったのさ。わたしたち、柔らかな若草のなかで、のべつ歌ったり、騒いだりして、のぼせ上がっていたのさ。」 −内海周平ー
しかし、騒いだり、のぼせあがるのは分かるとして、一体「とんぼ」は歌う、或いは鳴くものなのでしょうか。この辺り、原文はどうなっているのか、を示して説明が欲しいところです。
因みに「松田和露大辞典」を引くと、蝉は“ цикада” こおろぎは「CBEP4OK」とんぼは「CCTPEKO3a」と出ているのです。どうして「こおろぎ」が「とんぼ」になったのか。この内海訳、解説なり、あとがきなりでも、とんぼの説明でもそうですが、先行の訳業にいついても少しは触れてもいいと思われるのにこれらについても全く触れておらず、一寸不親切というか理解しがたいところです。先行の訳業とは、吉原武安訳(昭和23)山田豊彦訳(大)を指します。
さて、クルイーロフの寓話然203話の中、38編はイソップおよび、ラ・フォンテーヌの作品の翻訳、改作とみられるものです。が、残りの創作寓話は160編の中から100編を訳出したのが、西本昭治本です。
以上3冊の訳本,底本にしたテキストも違えば、さし絵も違いますから、全部揃えても無駄と言うことにはなりません。峯訳はイワノフ、サポージニコフ、セローフの3人の画家、内海訳はA・ラプテフ、西本訳は、峯訳のうちの1人A・サポージニコフといった賑やかさです。
私は、蟻はともかく、この話の中の蝉、又はこおろぎ、又はとんぼは、いかにしてこの冬を越すのか、気になって仕方ありませんが,其の一方、心の中では、大好きな或る話しを思い浮かべているのです。
その詩とは「『蝉』 ラ・フォンテーヌのは寓話 さてこれはわたくしの愚話
蝉がいた 夏中歌いくらした 秋が来た 困った、困った!(教訓) それでよかった」
堀口大学詩集 ー山巓の気ーより (山巓(さんてん)=山頂)