`09.12.16寄稿
太田黒元雄(1893〜1979)と言う名前を知っている人は,今どのくらいいるだろう。私より上の年配の人ならば、音楽評論の先駆者たるこの人を覚えている人もいるかも知れない。ロンドン大学中退のこの人は,評論雑誌「音楽と文学」を1916年に刊行して近代音楽の紹介につとめた。私の棚にも,ベッカーの「ベートーベン」やシューリッヒの「モーツアルト」などがある。だが,この人は,実は音楽だけではなく,写真にも手を出していた。属していたのは「写真芸術社」なる団体で,これを設立したのは福原信三(1884〜1948)で,大正10年(1921)のことだった。同人には福原露草(1892〜1946)掛札功(変わった苗字だ)などがいて,月刊誌「写真芸術」を出した.信三と露草は兄弟でこれ,誰あろうか?かの化粧品・資生堂の二代目とその弟なのだ。
信三の父は銀座で薬局(この名が資生堂)をやった他に,帝国生命保険の社長やら日本薬剤師会の会長を勤めるなど、つまりは大物だった。信三名の如く三番目の息子だが,上2人が病弱、早死と続いたので,必然二代目となった訳。
学んだのは千葉大医学部専門学校の薬学科とコロンビア大学。コロンビア大学を出た後、ヨーロッパに遊学したのが大正2年(1913)年だったが,この経験が信三の心中の芸術気質に火をつけた。川島理一郎なる洋画家がいて,作品集が「ふくろう文庫」にあるが、この人達と交流することで,彼は写真術に目覚めることになる。
あげく彼はトロピカル.ソホ・レフレックス・カメラなるものを手に入れて、飽くことなくセーヌ、あの美しいセーヌ側の情景をカメラに収める始める。そして1922年、先述の「写真芸術社」から「巴里とセイヌ」なる写真集をだす。
一方、弟・露草(ろそう)は信三より9つ下、本名は信辰.この人は、資生堂を継ぐなんてことの重圧のない人で、その号も「人生を道草しながらゆく」との意だとの事、で彼らは如何なる写真をとったか?と言う事になれば、これが、今我々の目から見れば、殆ど「これピンボケじゃないの?」と言いたくなる位のものであるが、そう言っては身も、蓋もないから,写真家流に言えば「ソフトフォーカス」とでもなるのだろうか。
なにしろ写されているものの輪郭はぼやけているし,,,と文句をつけたいが、ところがそのソフトフォーカス的、光の濃淡が,実に、まことに、なつかしく,美しく,,,たとえ、それが巴里であれ,上海であれ,東京であれ,切り取られた情景はえもいわれぬ美しさに満ちている。
その美しさは、何も福原信三や露草にだけあるのではない.今ここに、1992年8月から10月まで東京都写真芸術館で開かれた「日本ピクトリアリズム―風景へのまなざしー1」展の図録があって,私はこれをよく993年の1月に開かれた同館での「フランス写真の新たな展開1980ー90」を観た際に入手したが,「ピクトリアリズム=絵のような」としてくくられた30人程度の写真が,一様にとにかく美しい。
さて信三は,父の跡を継ぐと、資生堂を近代的にすべく,と言うことは銀座なる街の都会調と言うものに合わせるべく,父の薬局から化粧品部門を独立させ,例えば小村雪岱やら山名丈夫と言った後世の名デザイナーを華々しく船出する。
信三の心中に最後まであった芸術精神は,印象派とアール・ヌーボーの精神だと甥の義春は言うが,今に続く資生堂の輝かしき美的活動を思えば,さもありなんと納得出来る。この信三の実業家としての、同時に又芸術家としてのあり方を,「光とその諧調2 」
を出したワタリウム美術館の和多利志津子は,アメリカの画家・アンディ・ウォールの言葉を借用して説明する.曰く、「上手なビジネスは,一番うっとりするアートだ.いいビジネスは最高のアートだね。」.至言としか言い様がない。
この格調高いビジネスを継いで今、資生堂名誉会長になっているのが福原義春3 だ.叔父信三から「人間には性欲がある.性欲が昇華したのが芸術だ」と小さい頃から聞かされた義春は,2007年には「活字離れに歯止めを」なる運動に身を投じて,初代会長になった.就任の弁は「文字活字なくして進歩や発展はない.国民的な運動を」でこの運動の組織は「文字・活字文化推進機構」だ。
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義春は又,企業メセナ協議会でも「金もうけではなく、世の中の役に立つ文化支援をする事で、信頼を得られる」とも言い、更に「そもそもお金だけでは、心の豊かさは買えないじゃないですか」とも言う.1919年に開いた、現存する最古の画廊「資生堂ギャラリー」の主だけの事はある.がしかし、昨年7月、資生堂アンフィニの鎌倉工場で女性7人が偽装請負で、長年働かせられた後、途中で解雇されたと、横浜地裁に訴えて出た.彼女らの中2人は口紅製造ラインのリーダーだった由.おそらく上層部は知らぬのだろう,,,が,,「最高のアート」たるビジネスはこの人権無視にどう答えるのだろうか?