2022.01.31(月)寄稿
杜甫(とほ)に「曲江」(きょっこう)と題する詩がある。「曲江」とは長安(今の西安)にあった池の名で、武帝が「宜春苑」を造った時、水流が「之(し)」の子に蛇行したので付いた名で、景勝の地だ。
杜甫は「朝廷から戻ると毎日春着の着物を質に入れて酒に代えて曲江のほとりで酔っ払ってから帰宅する。酒代はたまるが昔から70歳まで生きる人は稀なのだから気ままに生きていこう」と詠う。これか出来た詩が「「人生七十古来稀なり」=古稀=70歳だ。
私がその古稀になった時、中学の同窓会をやろうと連絡が来た。聞いて杜甫の昔ならいざ知らず、今時、70歳は珍しくもないからと、余り気は進まなかったが、生徒会長だった私としては出ざるを得ないのででた。
元合唱部の女の指揮で皆で校歌を歌い私の挨拶となると、その女が前から考えていたらしく、もう一曲「千の風になって」を歌いましょうと言い出した。私は普段歌を口ずさむ事をしない男で、歌詞を覚えているのは殆どないが、それでもこの歌は知っていた。「あの曲はね、死者が風になって愛する人を見守る究極のラブソングなんですよ「とは訳詩、作曲の新井満の言葉だが、それにしても古稀を祝おうとて集まった場で、何も死者の歌を歌う必要はない、と私は反対して、皆もそうだとなって、これは止めた。
ところがその新井満が去年2021年12月の3日に亡くなった。私が新井を知ったのはサティがきっかけだった。今私の前に高橋アキのCDがついた。新井の「サティ紀行1 」と「オンフルールの少年2 」の2冊が置いてある。私がサティを聞き出した時集めた本で、つまり、私は新井が何者かを知らずに「サティ」の名があるので買ったら、その著者が新井だったという訳だ。回りくどい説明になったが、それは勘弁してもらうとして、私は拙著「本の話」の第34回(1990年、平成2年10月13日付」で「作曲家サティの 奇書」を書いている。それで今回は少しはダブルが実に32年振りにサティについての思い出をかいてみよう。というよりは「本の話」では出せなかった書影を出しつつ、思い出を書いてみよう。
① まずは1925年、限定225部で出たエリック・サティ「スポーツと気晴らし3 」の復刻版。これを持って私は1998 年1月23日「エリック・サティ歌曲の夕べ」に出かけた。我妻さんは「白い音楽家」と呼ばれたサティに合わせて上下真っ白のスーツを着ていった。このスーツ私はよく知らないがコシノ姉妹の2番目の人のデザインだった由。歌ったのはブルーノラプラント。ピアノはマルク・デュラン、2人は「スポーツと気晴らし」と②オルネラ・ヴォルタの「サティイメージ博物館」にサインしてくれた。ラプラントは「より良き思い出に」、デュランは「友情を込めて」だ。
①の普及版がドーバーブックスの③だ。④は1985年2月13日、室蘭での「高橋アキの世界」に持って行ったマルク・ブルデル著「エリック・サティ4 」。高橋アキはこれに「サティ万歳」とサインしてくれた.因みにこの本は池澤夏樹や日野啓三が評価する戸田ツトムの装丁だ。
言うまでもないが、アキの兄の高橋悠治はベルリンでクセナキスに師事したピアニストにして作曲家。アジアの民衆音楽を演奏する「水牛楽団」を率いた人で、サティのピアノ作品集も出している。いい機会だからここでその悠治と坂本龍一の対談集「長電話5 」⑤ を紹介しておこう。坂本自身が出版した珍しいものだ。私は悠治が室蘭で演奏した時これにサインしてもらった。2人共脱原発を呼びかけ、アメリカへの同時テロの時のブッシュ軍事報復について反対し、と偉いもんだ。
そういえば大事な人を忘れる所だった。秋山邦晴で、アキの旦那さんで、サティと来たらこの人だ。秋山は「戦前の音楽家達が犯した過ちは二度と繰り返すまい」との立場から、大著「昭和の作曲家達〜太平洋戦争と音楽6 」を書き上げた人だ。
その秋山が「第一回吉田秀和賞」を受けたのが全572pの「エリック・サティ覚え書7 」だ。秋山は1996年これだけの仕事をこなしながら、食道癌でたった67歳で死んでしまった。懐かしいなあ。
もう一つ、そういえばー1986年11月15日に、千葉県市原市を走る小湊鉄道を使った「サティ列車で行こう」なる催しがあった。「日本建築学会賞」を受けて室工大を卒業した根本邦篤君が切符を手配してくれていたのだが、都合が悪くていけなかった。4両編成の特別列車にお客さん450人が乗り込み、音楽隊が生演奏という素晴らしいものだったが、この後、根本君が、ピアノでサティを弾くようになったには仲間皆驚いたものだった。
話を中国の思い出に変える。いつだったか忘れたが、金門島に行ったことがある。福建省のアモイの東にある島で、軍の基地がある。アヘン戦争の時に西太后の命令で備えた大砲があり、それが前代未聞。砲台が固定されていて、ぐるぐるまわらない。つまり大砲の向いている先は1箇所。これに気づいた英軍は笑ったというが、そりゃそうだ。ここへ何をしに行ったかというと、ここ実は鄭成功(1624−1662)が拠った所と知ったからだ。この人中国の武将 鄭芝竜を父に長崎の日本人を母とする、日本名田川福松なる明末,清初の武将で広東を中心に清に逆らった人。というよりもこの人、近松門左衛門作の浄瑠璃「国姓爺合戦」の主人公のモデル、つまり国姓爺なのだ。
さて、その国姓爺がひそんだ洞穴なんぞを見た後平地に降りた。すると、広場に首からカゴを下げた痩せた長身の男がいて、それが近づいてくる。女子大生の通訳と我々夫婦しかおらず、こんな所で商売が成り立つ筈がないと思っていると、女子大生がきつい口調になった。男のカゴの中には中々良くできた飴細工が入っていて、私は欲しかったが、女子大生が買っちゃダメと言って、男を追い払った。その後の言葉は「彼はウイグル人です」と、我妻さんの記憶ではその時の女子大生は一寸さげすんだような表情だったと。今ウイグルに対する習近平の人権迫害が問題になってきて、あの時のことを思い出す。話を戻す。男がどこかに消えて広場が再び無人になると、広場の向こうの建物からピアノの音がする。耳をすますと「おや、ジムノペディだ」聞くと公会堂だというので入っていくと、舞台上のグランドピアノの前で18歳ぐらいの実に美しい女が白いブラウスを着て座っている。近づいて「サティだね」と声をかけると、にっこりと微笑して、あとは心、此処にあらずと言った感じで弾き続けるので、私と我妻さんは邪魔せぬように出た。出ると女子大生が「サティってなんですか」と言う。初耳のようだった。これはきれいな思い出になって、今でも時々思い出す。と此処まで書いてきて、序でだから我が棚にあるサティ関連本を整理の意味で列挙してみよう。
A. 日本人のもの
1 島田 瑠里/ 「サティ弾きの休日8 」/時事通信社/2003/¥1,800+税
2 島田 瑠里/ 「サティ弾きの安息日9 」/沖積舎/1992
3 中島 晴子/ 「睡れる梨へのフーガ、エリック・サティ論10 」/深夜叢書社/¥2,300
B. 外国人のもの
1 ジャン・コクトー/坂口安吾。佐藤朔訳 /「エリック・サティ11 」/深夜叢書社/1971/¥1,600
2 アンヌ・レエ/村松潔訳/「エリック・サティ12 」/白水社(ソルフェージュ選書6
1985/¥1,700
3 オルネラ・ヴォルタ編著/田村安佐子・有田英也訳/「書簡から見るサティ13 」/中央公論社1993/¥2,800
4 オルネラ・ヴォルタ/大谷千正訳/「サティとコクトー理解の誤解ー14 」/新評論/1994/¥3399
5 オルネラ・ヴォルタ/昼間賢訳/「エリック・サティの郊外.早美出版社(2004))) 」/早美出版社/2004/¥2100
6エリック・サティ/藤富保男訳/「エリック・サティ詩集15 」/思潮社/1989/¥1800
7エリック・サティ/文、立松和平、絵、篠崎正喜/こどものためのサティ(はじめてのクラッシック②、絵本CDのおくりもの)/評論社/1990
8音楽の手帖「サティ」/青土社/1981/¥980
まだある気がするがこれで止める。
- 新井満.サティ紀行.主婦の友社(1990) [↩]
- 新井満.オンフルールの少年.ビジュアルブック(1992) [↩]
- エリック・サティ.スポーツと気晴らし.全音楽譜出版社.(1998) [↩]
- マルク・ブルデル.エリック・サティ.リブロポート(1984) [↩]
- 坂本龍一. 長電話 .本本堂(1984) [↩]
- 秋山邦晴.昭和の作曲家達〜太平洋戦争と音楽.音楽の友社(1978) [↩]
- 秋山邦晴.エリック・サティ覚え書.青い土社(2016) [↩]
- 島田瑠里.サティ弾きの休日.時事通信社(2003) [↩]
- 島田瑠里.サティ弾きの安息日.沖積舎(1991) [↩]
- 中島晴子. 睡れる梨へのフーガ、エリック・サティ論.深夜叢書社(1977) [↩]
- ジャン・コクトー/坂口安吾。佐藤朔訳.エリック・サティ.深夜叢書社(1971) [↩]
- アンヌ・レエ.エリック・サティ.白水社(2004) [↩]
- オルネラ・ヴォルタ. 書簡から見るサティ.中央公論社(1993) [↩]
- オルネラ・ヴォルタ.サティとコクトー理解の誤解ー.新評論社(1994) [↩]
- エリック・サティ.エリック・サティ語集.思潮社(1989) [↩]