2022.5.17寄稿
昭和46年5月2日の事。札幌の植物園で飼われていた人気者ヒグマのコロが小学生の腕を噛み切るという悲劇が起きた。
コロの檻の前に高さ1mの木柵があったが8歳の小学生Aはこれをまたいでコロに近づき指に乗せたポップコーンを食べさせようとした。コロはポップコーンと共にAの指までくわえこんだ。Aは悲鳴を上げたが,熊の本性で一旦くわえたものは放すまいとするから、コロは更に噛み付いた。。周りの大人たちがAを引っぱったが、コロも驚いて指でなくて手首に噛み変えた。大人たちは引っ張る、コロは尚強くかむーで、とうとうAの右手首は噛みちぎられてーとなった。このコロはハンターから帯広畜産大の教授が買い上げて、一時、池内デパートの前で、鎖に繋がれて飼われていた熊で私も子供の頃池内デパートで見た。8歳のAは熊の恐ろしさを知らなかっった訳だ。この話、斎藤禎男著「ひぐまーその生態と事件 斎藤禎男.ひぐまーその生態と事件.北苑社(1971))) 」(昭46,北苑社)に出ている。
時は移って、昨年6月18日朝、出勤途中の44歳の男性 Aが音もなく背中をひぐまに叩かれ、これで右の肋骨6本が折れて肺に刺さりで、瞬時ににして肺気胸になり、更にとっさに仰向けになって体を丸めたものの,爪でえぐられた背中は80針、両腕、両足は60針の傷を負った。そして、今度は今年の3月31日、札幌の三角山(311m)でひぐまの生態調査とて、くまが冬眠中か?と巣穴を覗いた係員2人が母くまに襲われて大怪我、母くまは逃げてこぐま2頭が置き去り。そして今度は4月26日昭和新山の「くま牧場」で小ぐま9頭がデビューとのニュースが「観光客、かわいい」の見出しで出た。
クマはかわいいか?とんでもない。兎にも角にも、北海道ではひぐまの害が続発して、昨年度は負傷10人、死亡4人で、1962年統計を取り始めてからの過去最多。
繰り返すが、くまは可愛いいではすまない!!
そんな中、可愛いくまのお出ましだ。
今年に入って1月25日、松岡享子(きょうこ)が86歳で死亡した。児童文学の石井桃子らと「東京子ども図書館」を設立した人だが、それよりも「くまのパディントン」シリーズの翻訳で知られた人だ。このパディントンが私に言わせると、可愛すぎて、面白すぎる。松岡の訃報の後に来たのは「くまのプーさん」出版80年とて、英国文学者の富山太佳夫(たかお)が「プーさんのいいところは、ヘマをやっても仲間外れにされないという安心感だ。勝ち組や負け組といった発想とはおよそ無縁なせかい〜」と素敵な解説を書いていた。それはともかく、プーさんとくれば、私は書棚から安達まみの力作「くまのプーさん、英国文学の想像力1 」(光文社新書、2002、¥740+税)を出してきた。メモを見ると11月20日発行を12月9日に買ってすぐ読んでいる。安達はミルンが第1次世界大戦に志願兵として参加したことの経験を踏まえて、争いの絶え無い世界への抵抗へ形として、のどかな森やぬいぐるみ達を描いたという。ところで私が言いたいことは、パディントンもプーも可愛すぎるということだ。可愛すぎるといえば、酒井駒子の「よるくま」もそうだ。以下私は児童文学とは何の関係もない「くだらない」と言われるこを承知で童話のくま達には関係のない話をする。
昔私は道北の留萌市の古丹別なる所に行ったことがある。そこの「三毛別(さんけべつ)」で大正4年12月9日に世界のくま災害で一番と言われる大惨事が起きた。その場所を見るのが目的だった。ナニシロこの時のクマは前後3度、3日間で述べ12軒の開拓農家を襲い、7人を殺し、(中に臨月の胎児がいた)3人に重症を負わせた。
これが世に言う「三毛別事件」でこれをテーマにした名作が吉村昭の「熊嵐2 」だ。三毛別に行くと、当時の惨劇がわかるようにナニヤラ映画のセットみたいな風景が作られていたが、一番驚いたのは、身の毛もよだつようなぞっとした雰囲気だった。余りに気味が悪くて早々に退散したが、その時抱いたのは何を好んでこんな気持ちの悪い場所を開拓地として選んだのかという疑問だった。それともう一つ気になったのは、留萌に近づく道路の沿線に(今は外したかもしれぬが)実に可愛らしいクマの顔がずっと続いて貼られていたことだ。実はこれからが私が言いたいことで、子供にクマの恐ろしさを教えずに只可愛いクマばっかりを見せていると、最初に例示したコロVS8歳の小学生のようにクマに対して無防備になってしまわないかと言うことなのだ。クマは恐ろしいと教えるべし!札幌の街にひんぱんにクマが出ている今日「あっ プーさんだ」なんて無邪気に近づく子がいないという保証はない。以上甚だ散文的な話で失礼。尚「三毛別事件」については吉村昭の小説ばかりが有名なので、逆に1939年に「密猟者」で芥川賞を受けた寒川光太郎(と言っても知られていないだろが)の「北海道熊物語3 」(昭和48年、山音文学会¥600)を出しておく。序でに同じ事件に触れたものとしてあと1冊、木村盛武の「春告獣、エゾヒグマ4」を出しておく。
前号の「司書独言」で大学出なのに金田一京助の名を知らない人間、つまりはどうも辞書を引いたことがない人間の事を書いたので、今日は少し辞書の話をしよう。と思って書棚を見ていると、だいぶ前に辞書の話をしている事を思い出した。①は2016年12月号第371回(図書官報ではNo.187)で佐々木健一の「辞書になった男」(文春文庫)と石山茂利夫の「国語辞書事件簿」(草思社)を②は、2016年8月号のあんな本・こんな本第367回では川村二郎の「孤高ー国語学者大野晋の生涯」(集英社文庫)を紹介している。よって辞書を知りたい人はバックナンバーを見てもらう事にして、今回は別の本を紹介しよう。
世界で最高の辞書と言われるのは「OED」と省略される「オックスフォード英語辞典」だがそれに匹敵する日本の辞典は?となれば全13巻の「日本国語大辞典」(小学館)だ。この辞典、三代(祖父寛治、父驥、孫栄一)にわたる松井一族の仕事だ。その3代目が書いたのが 松井栄一「出会った日本語50万語。ー辞書作り3代の軌跡〜5 」(ちくま文庫)だ。スマホで満足している人には無縁だろうが只々面白いぞ。次は多少なりともメールばかりでなく文章も書く人にすすめたい。「大野晋 日本語相談6 」(河出文庫)。我が家の4軒隣りにチロという名の犬がいた。しばらく姿が見えないので聞くと「あーチロですか。お亡くなりになりました」と答えた。これ正しい日本語か?。この本には「犬にエサをあげる?、やる?」の例が出ている。次は加藤重広の「日本人も悩む日本語7 」(朝日新書)。
安倍が云々(うんぬん)を(でんでん)と読み、麻生が未曾有(みぞうう)を(みぞうゆう)と読んで政治ばかりか日本語までダメにしてくれているが、そう言う無教養な手合はおいて、まともな日本語を使いたいと望む人にすすめたい本。スマホの説明は信用ならないと言う例がちょいちょい出てくるぞ。言葉については、せめてスマホもネットも止めて、辞書に戻ろう。