第446回 村山知義他「ある裁判の戦記」「ある裁判の戦記」を読む

2023.5.5寄稿  3月末のニュースだが、三重大学教授で同大が運営する「国際忍者研究センター」の山田雄司副センター長が編者となって「忍者学大全」を出版した由。発行された日は2月22日の「忍者の日」、忍者の忍は「ニン」だから「ニンニンニン」の語呂合わせだ。

「朝日」に出た「教えて!ドラえもん」によると、この「忍びの者」は14世紀(南北朝時代)の動乱を描いた「太平記」に早や登場するという。「忍者」とくれば有名なのは伊賀甲賀 といずれも滋賀県だが、ここは戦国大名の力が弱くて、住民自らが自衛する必要があったからだそうな。室蘭の隣の登別温泉にも「登別伊達時代村」があるが、「日経」の番付けによると、この忍者村は残念にも全国6位だと。

ちなみに1位は三重は伊賀市の「伊賀流忍者博物館」。意外なことに甲賀市の「甲賀の里忍者村」は4位だ。と言う訳で今回のテーマを「忍者」としよう。忍術そのものについては先述の山田教授の「忍者学大全」に任せるとして、私が紹介したいのは劇作家村山知義の「忍びの者」。(1971年、理論社刊)で全5巻(当時で各520円)①が「忍びの者1

②が「五右衛門釜炙り2

③が「真田忍者群」
④「忍びの陣」⑤忍び砦のたたかい(( 村山知義,忍び砦のたたかい,岩波文庫、(2003))) 」

これ映画にもなって、市川雷蔵が石川五右衛門、怪優、伊藤雄之助が百地三太夫と藤林長門守の2役、西村晃が木猿、と実に面白かった。「忍び者」の作者、村山知義については、かって書いたことがあるので、理解のために再録しておく。「あんな本・こんな本」の第156回がそれ。2014年の3月号だ。(第156回より)

《 第一次大戦中のこと、東京のある中学校の生徒会の雑誌にT.Mなる学生が反戦の意を込めた一文を載せた。すると、生徒たち同志で論争が起き、「君は戦争を絶対に否定するのか」「否定する」などのやりとりの後、この戦争否定派のT.Mは、「この否定の言動は聞き逃す訳にはいかん。学校の問題とする」と主張するこうていは0人に待ち伏せされて、昔よくあった鉄挙制裁を受けた。その中にK.Mがいた。・・・ここからはT.Mの文章を少し引用する。「〜K.Mは勉強する、出来るグループの少年ではなかったが、のちに官界に入って、トントン拍子にに出世して、私のクラスでのいわゆる”出世頭”といわれるようになった。内務畑で、あっちこっちの県の知事をしているうちに、内務省警保局長になった。警保局というところは、思想犯検挙の総元締めで、彼がそこの局長の時、私は2回検挙.投獄され、3回目のそれは、彼が警視総監の時だった〜」

さて、次は第二次大戦、いわゆる太平洋戦争の時代に入って・・・当時、総合雑誌の二大勢力と言われた「中央公論」「改造」を発行していた両社出版が潰された(この事件「横浜事件」という)。戦争という非常時に、この二雑誌が余り戦争協力的態度をとらず、それどころか軍側から見れば、自由主義的でさえあることが、目にさわっての結果だった。この時の警保局長が、昭和17年に富山県知事より転入してきたK.M。この後は新潟県知事となり、2ヶ月も経たずして鈴木内閣の警視総監となり、降伏直後には更に東京都次長に栄進・・・したものの、戦後、追放となった。その失意の時に・T.Mらに会ったK.Mは、「自分は君の2度の検挙にはタッチしていない。知りさえしなかった」と弁解した由。・・・追放解除になったK.Mは今度は北海道知事になった。さてこの辺で、この頭文字を名前に戻してみよう。T.Mとは村山知義、   K.Mとは町村金五。如上の引用は、村山の自叙伝「演劇的自叙伝1」からのもので、村山が演劇雑誌「テアトロ」に連載したものだ。2013年の3月、神奈川県立近代美術館で「すべての僕が沸騰する。村山知義の宇宙展」が開かれ、私もすぐにカタログを取り寄せた。改めて村山とは「1901〜1977、劇作家、演出家、東京生まれ、東大中退、前衛的な舞台美術で知られ、プロレタリア文化運動に参加,新協劇団結成)(大辞林/三省堂)。町村は記載なし。思想的に弾圧した者と、弾圧されたもの...その結果として歴史に残る者、忘れ去られる者。人類文化面に置いて、どちらが勇者かは言うまでもない。

「村山知義」と言えば、奥さんの「村山籌子」にも触れねばならぬ。「ピノキオ」を初めてイタリア語から訳した人だ。籌子についても、前に書いたものを出しておく。「あんな本・こんな本第163回」より

《「国際児童年」(2000年)の年北海道新聞社から取材を受けて、「山下さんが選ぶ絵本とはどんな絵本ですか」という質問があった。そこで、あげたのが

①「武井武雄 画噺」(全3巻/銀貨社)の「ラムラム王、内容は 1.あるき太郎 2.おもちゃ箱 3.動物の村 それと「ラムラム王」

②は、JULA出版局から出たこれも全3巻の「村山籌子作品集((村山籌子. 村山籌子作品集.ジュラ出版局(1997))) 」1.リボンときつねとごむまりと 月 2.あめがふってくりゃ 3.川へおちたたまねぎさん 絵は三冊とも村山知義だ。話はとぶが、小樽の旭展望台に、小林多喜二の文学碑があるが、それに、「・・・赤い断層を処処に見せている階段のように山にせり上がっている街を、僕はどんなに愛しているか分からない。」なる文章が刻まれている。実は、これは多喜二が友人の村山籌子に宛てた手紙の一部なのだ。籌子はつまり、そうゆう人だった。籌子は「婦人の友社」の記者をしながら、同社発行の「子供の友」に、童話,童謡を発表したのだった。籌子の作品に絵を描いたのは夫の知義である。》


村山夫妻に触れたらその息子夫婦、児童劇作家の村山亜土と金属工芸デザイナー村山治江にも触れねばならぬ。二人の一人息子錬は盲人だ。その息子が「僕たち盲人にもロダンを見る権利がある」と言う。それで、夫婦が作ったのが「手で見るギャラリーTOM」だ。(確か渋谷の松濤に今でもあると思うが)入り口に錬が発した言葉を陶版にしてはっている。前に、この「TOM」が続くかどうかを危惧する記事が「日経」に出たことがあるが、続いてくれていることを願うものだ。(2023年 美術館は続いてます。 西方)



今月の「あんな本・こんな本」は村山知義に絞って終わりとしようと思っていたが、5月27日に素晴らしい本を読み終えたので、急いでこの本を読者に知らせるべく、書き足すことにした。

最初にその本の広告を出す。そしてこの本を手に入れるには「ブックセンターかもがわ」に頼むのが一番手っ取り早いので、その連絡先も出しておく。私が紹介したい2冊の本は広告を見れば済むのだが一応私から補足説明するとー

「戦史・紛争史研究家」の山崎雅弘(やまざきまさひろ)はかねてより作家の竹田恒泰なる人物の言動を見た上で、竹田を「人権侵害常習犯の差別主義者」と捉えていた。

ところが、令和元年(2019)、11,13に富山県は朝日町の教育委員会がこの竹田を講師として中高生に「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」と題する講演を聞かせるとの計画があることを知った。

そこで、山崎は自分が「人権侵害常習犯の差別主義者」と規定している人物の講演が中高生におよぼすであろう悪影響について、ツイターで投稿し、その企てが危険であり、無意味であるから止めるべきだと主張した。

すると、呆れたことに竹田は山崎に対して「名誉毀損」の訴えを起こし、慰謝料500万円を要求してきたのだ。で、山崎は思想家の内田樹と弁護士の佃克彦他多勢の人に助けられながらこの訴えを受けて立つ。結果は一審、控訴審、最高裁のいずれでも勝ったのだ。

「ある裁判の戦記3) 」

「ある裁判の戦記を読む4

その完勝に至るまでの経過を語ったのが山崎の本、その支援の様子と、その裁判の意義を語ったのが内田との本だ。私は竹田の顔を見ただけでも虫酸が走る方だがまあ個人的な感情はおいて、この本は「竹田恒泰」と言う希代の「人で無し」の実象を暴いて不足がない。一人でも多くの人が一刻でも早くこの本を読み且つ広めることは、まさに国益になると言って過言ではない。

 

  1. 村山知義、忍びの者、岩波現代文庫(2003) []
  2. 村山知義、五右衛門釜炙り、岩波文庫(2003) []
  3. 山崎雅弘.ある裁判の戦記.かもがわ出版(2023 []
  4. 山崎雅弘、内田樹.ある裁判の戦記を読む.かもがわ出版(2023) []

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