過ぐる4月19日、地元紙「北海道新聞」にいい記事が出た。題して『五十六の最後」平和願う撃墜死から80年、護衛の故柳谷さん』
話はこうだ。北海道中央部に美深(びふか)という町がある。その中、JR宗谷線の思根内(おんねない)駅前の公園の中に「不滅の零戦魂(ぜろせんたましい)柳谷謙治(やなぎやけんじ)の碑」がある。(ビフカとかオンネナイとかのアイヌ語由来の地名の説明は諸説あるので、今はしない。
さて、柳谷は1919年(大正8年)当地で生まれ、海軍に入隊.1943年4月17日に山本五十六の護衛に命じられた。山本五十六は当時日本海軍連合艦隊司令長官。その山本が前線基地を励ますべく出かける搭乗機の護衛を命じられた訳だ。全部で6機。乗るのはいわゆる「ゼロ戦」。ところが、山本はブーゲンビル島上空でやられ、護衛の6機も柳谷を除いて5機やられと散々だった。
で話を戻すと、唯一生き残った柳谷を記念するために当時の美深町議会議長の山崎幸一なる陸軍士官学校での人が立てた石碑がこれ。山崎の息子の晴一(68歳)は、この碑が注視され、戦争反対を考えるきっかけになればと言う。さて、五十六の死について、保坂正廉の「あの戦争は何だったのか〜大人のための歴史教科書ー1」をのぞいてみよう。
保坂はこう書く。「連合艦隊司令長官、山本五十六が、ブーゲンビル島の上空でアメリカの戦闘機に撃墜され死んだのは昭和18年4月18日だった。山本の死は、日本にとっても、アメリカにとっても、太平洋戦争史の時代を区分する大きな出来事であった。山本の死後その死は一ヶ月以上も日本国民に伏せられていた〜。」この後、山本の死はなぜ伏せられたかの解説が続いて、その後に呆れる話が出てくる。「山本は支配下においた近くの前線飛行場、ブーゲンビル島を視察することにした。山本の視察の日程は早速、暗号電報として現地の日本軍基地に発信された」。「ところが、その暗号はアメリカ軍にすっかり傍受、解読されてしまっていたのである。」「飛行コースから何時何分に何処につくのかまで正確に読まれていた」結果はー4月18日午前7時半ごろ、暗号電通り、6機の護衛機を引き連れた山本の乗る一式陸改機がブーゲンビルにやってきた。待ち伏せしていたミッチェル隊長率いる16機の内4機の戦闘機が易易と山本機を撃墜。不意打ちを食らった機はジャングルに落ちていった。」馬鹿じゃなかろうかと笑うしかないがー世界一早くトランプに「おめでとう」を言いに行ったアベ、バイデンが玄関先まで迎えに出てくれたと、はしゃぐ岸etcと今でも日本はアメリカにしてやられっぱなしではないのか。
坂本龍一が過ぐる3月28日に71歳で死去した。細野晴臣,李禹煥(美術家)佐々木敦(著述家)後藤正文(ミュージシャン)などなどが各紙に思い出を書いている。それらの新聞を皆切り抜いて坂本を偲んだが、どの人もいい口調で、いい思い出を語っていて、いい勉強になったが、見るのもうんざり、見終わってげんなりしたのが、ビートたけし。私は偶々人と待ち合わせのためホテルにいて、確かNHKだったと思うその番組。(坂本を偲ぶ。)を見たのだが、見終わって記憶に何も止まらないと言った具合の中身だった。たけし自身のことを喋っていただけの様な感じだった。なにもたけしを出さなくても他に相応わしい人はいるんじゃないかと、言うのが見終わっての感想だった。たけしはどうでもいいとして、坂本の本を出すには何が良いかー。
そうだ、先に坂本の父親の坂本一亀(かずき)の「伝説の編集者 坂本一亀とその時代 (( 田邊園子.伝説の編集者 坂本一亀とその時代.河出文庫(2015)))」田邊園子著(河出文庫) を出そうと書庫に入ったがある筈の場所にない。それで、坂本と福岡伸一の「音楽と生命2 」(集英社)と思ったが、これは今本屋に並んでいる。で、とっておきの一冊を出すことにする。浅田彰+坂本龍一編集の「休業ー水牛楽団ー・cassete bookー3 」だ。発行は 「本本堂」、 発売は「冬樹社」.昭和59年10月1日刊.¥2,000。タテ11cm ヨコ7cmで中身は全98Pと全72pのブックレット+「高い塔の駅」なるカセット「本本堂」は坂本が作った出版社。
「水牛楽団」(1978−1985)はサティを弾いて有名な高橋悠二を中心としてアジアの抵抗歌を政治集会で演奏した集団だ。私はこの高橋悠二のピアノ演奏が好きで、私の友人のジャズ喫茶の主人が催す演奏会には必ず行った。高橋の妹のアキもよく来た。この本かなり珍本だと思う。
ついでだから、たけし批判する佐高信の論を紹介しておこう。佐高の「安部”日本会議”政権と共犯者たち4」に出る話だ。佐高は、たけしは松本人志に似ているという。
松本はテレビで「多少の冤罪があっても共謀罪はいいと思う」と言う.またアベや大阪の松井をゲストに招いてよいしょする。そうゆう松本を佐高は「松本に明確な自分の考えというものはない」とする。その上で、佐高は、私の大好きな適菜収の松本批判を紹介する。それは「松本はひたすらアベに媚び 橋本に媚び 松井に媚びる。権力に尻尾を振り弱者を叩く。ネトウヨなら社会的影響力はゼロに等しいが、松本の発信力を考えればその凡庸さは犯罪に近い」佐高は適菜の論をこの様に紹介してから、「私にはこれは、殿ことビートたけしがたどった道にみえる」と結論する。私思うに要するに松本も、たけしも拗ねた顔で反権力を気取って見せるが、その本質は権力に対しての只のご機嫌取りなのだ。私は、松本の顔も、たけしの顔も本当に醜いと思うがね。
ここで最初に取り上げたテーマで別の本を思い出したので、それを出しておく。「アッツ島」と言えば「玉砕」なる言葉が最初に使われた地として有名だが保坂はその島での戦いを次の様に書く。アメリカ兵は日本兵に投降を呼びかけるのだが、日本兵達はそれを聞かないどころか「全員で自分たちの足を縛り一塊となって”ワーツ”と叫びながら向かって来た。銃も使えないので鎌や棒を手にしているだけであった。(そうアメリカの戦史にはある)」戦争したがりやの岸田他はこういうこと知らないのか。
ところで「アメリカ戦史にある」と保坂は書いたが、アメリカ側の日本兵達をどう見ていたかを米軍の記録によって書いた本がある。(のを思い出したのだ)一ノ瀬俊也の「日本軍と日本兵〜米軍報告書は語るー5」がそれ。その報告書とは米軍軍事情報部が1942−1946まで出していた「戦訓広報誌」。保坂の本とこれ、岸田の馬鹿どもに送りつけてやりたい。そして戦争したいなら首相公邸に集まった岸田一族がまず行け。そこで玉砕してこいと言いたいくらいだが…….。までは言わないが…….。