司書独言(141)

2013.7月寄稿

○月○日 投票日だが遠出をしなくちゃならん用事があるので、いつもは7:00のコーヒーを5:00には終え、早々に出る事にして、でもその前に一寸新聞を広げると、「東電管理職に一時金10万円」なる記事があって、課長級以上の約5,000人に支給する、〆て5億円だと。呆れつつ投票して...結果は御存知の通り。原発反対が50%を越すのに、最稼働をすすめる政党が勝つ不思議??。

○月○日 勝ったと思ったとたんに気がゆるんだか、24日の朝刊に自民党の細田が原発を止めてしまうことは”とても堪え難い苦痛を将来の日本国民に与えると逆に思いますね”とBSフジの番組で発言したと出た。原発という制御出来ぬ代物を将来に残してはならぬする側との何たる違い。立場が異なるとは言え将来像のこれ程の違いが出る不思議。池澤夏樹は「原発とは緩慢に爆発する原爆である」と言うが、その原爆を残さないと、将来の国民が苦痛を覚えるとは、何たる論理だろうか。

○月○日 某紙で「イライラするカタカナ語は?」とのアンケートが行われ、上位5位が出た①コンピテンシー②インスタレーション③インキュベーション④コモディティー⑤ダイバーシティ。 私は英文科卒だがこの5つ、いずれも訳せぬ、というより分からぬ、もっとも②は北海道出の芸術家・川俣正が随分昔からやっているし、見た事もあり図録も持っているから、何を指すかは分かるが、やはり訳せぬ。

○月○日 これで思い出すのは、画期的な「新潮日本語漢字辞典」を作った小駒勝美の案。それは、「外来語は漢字で書け」と言うもの。小駒が例にするのは、シュミレーション=模擬体験、アイディンティティ=自己同一性、イノベーション=技術革新。漢字で書けばその言葉の意味がピンと来るというのが小駒の主張。私しゃ賛成だね。国語審議会なんてのも漢字制限ばかりしてないで、外来語の漢字化をせっせとしてもらいたいものだ。さしあたり、室蘭でもこの頃出て来た「コンソーシアム」、誰ぞピンとくる漢字にしてくれんかね。これ読んでピンと来ぬひとは小駒の「漢字は日本語である」(新潮社)を/¥680+税)を読んで下さい。因みに私は自分の文章では横文字は使わぬ努力をしている。

○月○日 「日本近代史」(ちくま新書)の歴史学者・坂野潤治は「格差の縮小が社会に活力をもたらす」と言い、それなのにその格差を拡大させたのが小泉政権だと指摘する。私はこれに小泉を支えたのは竹中平蔵だと加えたい。その竹中を論じた本がでた。日本経済新聞社の記者・佐々木実の「市場と権力」(講談社/¥1,900)竹中が自慢話にする郵政民営化なんてものはブッシュの意向に沿っただけのものと言う話しを初め色々出てくるが、結論は竹中がインチキ極まる男だということ。

○月○日 国民全体が貧困に喘いでいても自分が楽ならイイヤというのが竹中式だが、竹中がそんな男だとは顔を見りゃ分かる。最初からインチキだとそれこそピンと来た。人間を顔で判断してはいけぬとは世間の常識だし、昔は人間の顔を犯罪型とそうでにのに分ける犯罪学者、刑法学者のエセ学問があった事も承知の植えだが、顔で分かる場合もあるんではなかろうか。

○月○日 例えばオームの麻原。あの顔とあの声を聞いただけで私なら拒否反応を起こすね。どこがよくてあんなのに酔うのだろう。例えば国会で「この私が噓をつく顔に見えますか」と大見得切った中曽根。私には噓つく顔に見える。あの顔が噓付きと」言う顔でないとしたらどの顔が嘘つきなのか。「私が会った人の中で一番老獪=悪賢いのは中曽根」と言ったのは沖縄の太田昌秀知事だった筈。まあ中曽根が嘘つきだった事は今や瞭然たるものだけどね。まあ顔見ての直感にプラス学者の労作を読んでの知識があれば人物判断もそう間違わんだろう。

○月○日 大変な映画を観た。「ザ・ウォター・ウォー」=まあ訳せば水戦争か水争議か。2000年のボリビアを舞台とした実話。今や多国籍企業が水道事業に参入しているとは常識だが、それと戦う原住民の物語に、劇中劇として御存知例のコロンブスの収奪劇が重ねられて、という趣向。こういう骨太な作品を観ると、劇画を原作としたドタバタ、ホラー、暴力揃いの日本映画は何をやっているのかと思っちゃうね。「東ベルリンから来た女」も良かったなあ。

○月○日 6月末テキサスダラスに「ブッシュ図書館」が開館した。「ブッシュ氏は自由と民主主義を世界に広げた」なる趣旨のもと、諸々が展示されている由。あのパウエルでさえもが、イラクが大量破壊兵器を持っていると国連で演説した事を、自分の汚点とする、と告白しているのになあ。何考えてんだか。ブッシュは横田めぐみさんの両親に「めぐみの事は忘れない」と言ったが、今や、頭の片隅にもないだろうなあ。

司書独言(140)

2013.6寄稿

○月○日 先頃の大風で市内各所で多くの木が倒れた。見るも無残な切り株があちこちに見える。ところで、室蘭は「花と緑のサークル都市」などと美称を口にしているが、どうも言うだけで,他市に較べて、どう見ても花と緑がつながっているなんて印象はない。いたずらに街路樹を植える枡の数はほこるだけで、倒れたら折れたまんまの感が強い。古いビルが無くなって駐車場になるのが結構あるが、そこには木の一本もない。

○月○日 建築家・安藤忠雄によると、「神戸コロッケ」で有名な岩田弘三は、工場内に従業員の人数分の柿の木を植え、成った実は社員で分けているという。室蘭の企業家の全部が全従業員の数とまではいかなくとも、せめて1本でも2本でも樹を植えてくれたら、いつの日か或いは緑がつながるかも知れん。その根本に花を植えれば花もつながるかも知れん。室蘭は狭くてそんな余裕の土地はないわ、と言うなら、話しにならんけどね。心の持ち様の問題だわ。

○月○日 街路樹と言えば、36・37両国道の松の枯れようが凄い。殆ど真っ茶になっている。全滅するのでは?と毎日心配だ。家庭の松も檜葉も軒並みやられていて、この原因が虫なのか雨なのか、又管轄がどこなのか分からんが、誰かが音頭をとって枯れ枝落としをやらねばならぬ時に来ていると思うがね。「白砂青松」なんて風景は今や望めぬとしても、両国道唐松全部消えたらへんなものだよ。

○月○日 安倍首相が戦車の次に戦闘機に乗って現われ、次は何だと思っていたら、ビートたけしと並んで出た。たけしは「場違いな感じ」と発言してるが、権力にすり寄る癖のたけしには相応しい場所で、場違いではない。昔から芸人が権力に近付いたら、その末路はもう太鼓持ちに決まっている。たけしが自称するやに見えるアウトローなら、最初から安倍とは並ばぬ筈。馬脚を現した訳ではなく地が出た訳だ。

○月○日 「本屋大賞」なるものは知っているが、今まで何の注意も払った事がなく来た.それが「海賊と呼ばれた男」が出て、広告では「出光佐三」が主人公だという。あの出光美術館の出光なら読んでみたいと思っている矢先に、これが本屋大賞と決まった.それはまあどうでもいいが、或る事で買って読む気が全く失せた。

○月○日 というのは、作者の百田尚樹が「タカジン」の番組に出てハシャイデいるのを見たからで。この番組、中国に直ぐにせめて行けと叫ぶメガネの丸坊主や、橋本の後押しする慰安婦はなかったとする元NHK社員や、あの田母神を「面白い人だよ」などとする故禿頭老人やら、乾物のタツノオトシゴみたいな宮家の人やらと、何だか変に威勢のいい連中が揃ってて、ソバ屋だから仕方なしに見ていたものの...まあ、世の中に事を起こしたげな人間が揃っているなと思っているが、そこにこの百田が出て、陰一つない表情でしゃべっている。嫌になったね。

○月○日 「ふくろう文庫」が目出たく5,000冊に達したので、今まで寄付してくれた人全員にその喜びを伝えた。14年間の寄付者の中には既に故人もいるから、その場合は遺族に、又伴侶をなくして子供達の所に引き上げたと言う人にはその移転先へと、記録をたよりに出し終えたが、宛先に居らず出戻って来たハガキも10枚余枚あったから、洩れた人もいたに違いない。申し訳ないが仕方ない。知らせが行かなかった人にはこの場でお詫びする。

○月○日 ところで人様々だが、私の知り合いで、まあ普通の教養人だと思っている人がいるが、この人がいつも言うには、「山下さん,絵見て何になるの」と。見て何もならん人には答える術がないから私は笑っているが、つまりこれは美術に「無縁の人」で仕様がない。只、邪魔をしないでくれと思うのみ。この人と違って、新宮前市長は三谷秘書課長のスケジュール捌きのうまさもあって、「ふくろう文庫」展には必ずお顔を見せて、時間の許す限りいた。市長が見に来ると言うのはありがたい、と言うのは、偉い人が来るからありがたいのではなくて、市長が人類不滅の価値を持つ美術なるものに興味を示す、或いは共感を示すと言う事は、その人個人の文化度の高さに関して、まわりのの人の評価が高まるということの他に、公人たる立場から理の当然に、首長としての文化度、強いてはその地の文化度をはかる目盛りともされる結果になる訳で、私が新宮市長の参観にいつも感謝し胸をなで下ろしたのはそこに理由がある。先日、図書館長が室工大生一人を連れて来たので、ダ・ヴィンチの手帖を見せると、鳥肌が立つと感激してた。「何になるの」に聞かせたいせりふだ。

○月○日 一つ加えると、長老の某市議は市議の中で只一人「ふくろう文庫」展の皆勤賞者だ。この人は、いいふりこきせず、ここは何を描いたのか?とか、これは何か意味があるのかと訊きながら、二時間は見ている。人生に潤いをもたらすために、と「ふくろう文庫」を続けて来た身には、こうした市長とか市議の存在は嬉しいもので、これが全員に及んだら、何か色香みたいなものが、市全体に漂い始めるかも知れぬ。

 

 

司書独言(139)

2013.05寄稿

○月○日 富士山が世界遺産に登録することが決まった。この世界遺産なる理念は,アンドレ・マルローのユネスコ会議での発言に由来する由。その発言は「世界文明の第1頁を刻む芸術は、分割出来ない我々の遺産である」というもので,エジプト文明の諸遺跡が,ナイル川に大規模ダムを作ることで水没する危機に際して発されたものだという。

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司書独言(138)

2013.4月寄稿

○月○日 つい先だって,言葉に関して複雑な思いを持たせられたことがあった。

それはそば屋でテレビを見ていると,日ハムの選手が2人出ていて,1人はどことかから移籍したナントカ選手で元法政大のキャプテンなる人,もう1人はあごの先に貧相なヒゲを生やした中田。

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司書独言(137)

2013.3月寄稿

○月○日 前回、森繁と文化勲章の関わりについて語ったが、今年は森繁生誕百年。その森繁の「駅前シリーズ」の中3本の脚本を書いた藤本義一が亡くなったので、もう一度見ておこうとGEO(ゲオ)に行ったが見つからぬ。若い店員に「森繁で検索してみて」と言うと「それは人の名ですか?」ときた。これでは森繁も形無し、イヤ浮かばれんわ!!。駅前は1本しかなかった。

○月○日 首相や外相らが使う政府専用機てのは1993年当時1機320億で、いつも千歳の航空自衛隊の基地に配備されている由。ボーイング747-400型というタイプで、定員150人、シャワーもあるんだと。同じ機種の旅客機だと500席作れると言うから、まあゼイタクに作っている訳だ。しかしまあ大臣によってはこんなだだっ広いもんじゃなくて、例えば防衛相なんてのにはオスプレイを専用機にしてやったらどうかと思うけどね。

○月○日 これも先月の話しで、カンサス航空の旅客機に体調3mのニシキヘビがしがみついていて、とどのつまりは凍死した話しを書いたが、落ち着いて考えてみるに、よくその飛行機,片翼にしがみつかれて落ちなかったもんだなあ。例えばだよ、蛇の代わりに象が片翼に乗っていたと考えてごらん。
たちまち平衡を失うよ。それが貴方、蛇だよ。土台、貴方、象と蛇どっちが重いと思う?。答えはね、蛇(heavy)=重たい)なのさ。実はこれ英語の謎謎の一つ。ウッヒッヒッ!!

○月○日 カトリック史に初めての南米出身の法王が出た。フランシスコ1世がその人。法王選挙会議のことを「コンクラーベ」と言うが、まあ、選ぶ方も。選ばれる方も、まさしく「根較べ』であることは間違いない。この13日に選ばれた新法王が16日に報道陣を前に発した言葉は、「貧しい人のことを忘れてはならない。貧困者のための質素な教会であるべきだ」と述べた由。聞いて呆れる。何故って、ヴァチカン宮殿てのは、カトリックの尖兵達が世界中からかっさらって来た富の結果の場所だよ。いくら言葉の上でも、今更どうやってこれ質素に出来るの?

○月○日 カトリックの歴史をいささかでも知っている人なら、ステファノ、ラウレンティス、ウインケンティウスの3人が「3大殉教聖人」だってことは常識だ。今前後は省いて真ん中のラウレンティスに話しをしぼると、この人、一体何をした人かと言えば、早い話しが教会の財産全てを、いわゆる貧者たちに分け与えたという人だ。つまり「貧者に施し」を絵に描いたような人だ。ここで先の話しに戻るが、もしもカトリックの歴史がこのラウレンティスのような人の連続であったならば、今のケバケバしいヴァチカン宮殿はとてものこと実現していなかったろう。

○月○日 昔スペインを一周した時、そちこちの寺で一番呆れたのは、その内部が金ピカそのものだったこと。これ皆、マヤやインカからの収奪の「金」から出来ている訳だが、その最たる物が、ヴァチカンだろう。アルゼンチン出の新法王がもし本当に「質素なる教会」をと望むなら、まあ、ブラジル辺りのスラム街宛てにヴァチカン宮殿のそれこれを、どんどん放出したらどうかね!、と過激なことを思っちゃうね。室蘭弁で言うなら「ガメッタ物」を元に返せば、世の中は少し公平になるんじゃなかろうか。因みに「ガメル」とは=「盗む、ごまかす。ちょろまかす」の方言。

○月○日 先進国で唯一国民階保健制度がない國、と言えばアメリカに決まっとるが、そういう国が主導権を握るTPPにやはりはまり込んでしまった。日本全国の医師会会長全員が反対しているにもかかわらずだ。無保険の「一歩間違うとのたれ死にの怖さ」をえぐった町山智博の「教科書に乗っていないUSA語録』(文藝春秋刊/¥1050)を読んでごらんなさい。如何にTPP参加が恐ろしいかと言う事がわかる。

○月○日 久し振りに小津映画「お茶漬けの味」をdvdで観直したら、作品の出来はさておいて、妙なことに気がついた。それは鶴田浩二の箸の持ち方の変なこと。当節そば屋でも、ラーメン屋でも、麵を直ぐ口に入れず一旦レンゲに移して食べる人が多いのにも、いい加減ウンザリするが、それよりも箸の持ち方が先だて。箸の正しい持ち方を習得させようと、食品メーカーの「フジッコ」なる会社が「まめっ子くん」なるものを考案していた筈だが、今からでも遅くない、少なくとも映画やテレビに出る連中には正しい箸の持ち方を教えてから出してもらいたい。仕付けの悪い俳優はダメだ。

○月○日 しつけと言えば、つまりは教養の問題だが、山本富士子がミス日本になった年の候補者各人の受け答えの時、質問は忘れたが、全員「とんでもありません」もしくは「とんでもないです」と答えたのに、富士子のみが「とんでもないことでございます』とやって、審査員の船橋聖一(だったか、谷崎潤一郎だったか)が富士子の言葉使いが正しいと褒め、他の無教養を嘆いたことがあった。しかしまあ、一々こんなことを言っていたら当節の映画、ナンダカンダで気になって観てられんわな。仕方ない、目つぶって観てよう。