朝刊をひらくと、「狼」好きの私には耳寄(みみより)な記事が出ていました。
「日本狼研究会」が、「日本狼」を求めて、秩父の山中で、狼の遠吠えをテープで流し、狼を誘い出す実験をしようとしている、云々。(うんぬん)
日本狼は、90年前に絶滅した、というのが定説ですが、昨年2月末、鳥取県国府町の宇倍(うべ)神社で、日本狼らしい剥製が見つかって、狼に関心を持つ人々を喜ばせました。
折りよく、同年3月には、日本狼について環境庁と国立博物館が、遺伝子レベルでの解明に乗り出しました。
日本狼の標本は、外国に2体、国内には3体しかありません。外国の2体は、幕末、出島のオランダ商館付の医者として来日していたドイツ人・シーボルトが、オランダのライデン王立博物館に納めたものと、明治38年、イギリスが企てた「東アジア動物探検隊」の一員として来日したアメリカ人・アンダーソンが、奈良の山里、鷲家口(わしかぐち)で買い、大英博物館に納めたものです。
国内の3体は、国立博物館、東大、和歌山大にあります。
因に、アイヌが「ホルケウカムイ」(=狼神)と呼んで崇(あが)めたエゾオオカミの標本にいたっては、世界中で3体、即ち大英博物館、北大の農学部附属博物館、そして静内町のアイヌ民族資料を募集展示している民俗資料館にしかありません。
先述の鳥取の狼は、昭和24年に捕獲されて、神社に寄進されたといいますから、もし、これが真正の日本狼なら、絶滅して90年の定説を、40年も縮めることとなり、とすれば、これは世紀の大発見となるでしょうが、今のところ、結論は出ていないようです。
日本狼の絶滅については、山野の開発、狩猟、犬の伝染病等、が原因だと言われていますが、これといって特定出来るものはなさそうです。
日本狼より一回り大きく体長1m20cmもあるエゾオオカミの方は、北海道開拓と同時に始まった牧場経営の観点から、馬をおそう害獣とされて、お雇い外国人、ダンの提言で、毒薬ストリキニーネを使っての掃討作戦で、明治10年頃には絶えていた、というのが定説です。
因みに、エゾオオカミが馬をおそう凄絶(せいぜつ=ものすごさ)さを描いて見事なのは、船山馨の名作「お登勢」の終わりの部分です。
その迫力はそんじょそこらの剥画の及ぶところではありません。
さて、外国では、家畜をおそう害獣たる狼、日本では、農作物に被害をもたらす、鹿、狼、猪などの天敵たる存在として、神様として祀(まつ)られるものであった狼、...彼我の文明の違いが、狼を通してハッキリとわかる...これが狼についての本を読む楽しさです。
私の書棚には、今、狼についての本が20点余並んでいますが、その中から最近刊行のもので、しかも主題を日本狼だけにしぼったもの3点を刊行順にあげておきましょう。
柳内覽治「幻のニホンオオカミ」さきたま出版会 ’93 ¥1,800
藤原仁「まぼろしのニホンオオカミ」歴史春秋社 ’94 ¥2,000
千葉徳爾「オオカミはなぜ消えたか」新人物往来社 ’95 ¥1,800
※つけたし...アメリカの女流作家、ウイラ・キャザーの傑作「私のアントニーア」にも、一読忘れがたい、狼のエピソードがあります。それは、登場人物、パーヴェルが臨終の床で、語る、狼の大群が婚礼帰りの橇(そり)をおそう悽惨な話です。
6台の橇を次から次へとおそう狼達、花婿花嫁をのせたパーヴェルは自分が助かりたいばかりに、その群れの中に2人を突き落とすのです。