`00.9.14寄稿
私の姉が、昔プロレスを観て来て、呆れて言うには「リングからたたき落とされたプロレスラーが、リングの下に這い込むので、何をするかと幕の隙間から覗くと、中で頭や胸に血糊(ちのり)を塗っていたの」と。
プロレスは私が大学生の頃、昭和30年代に流行り出して、プロレスの始まる時刻に食堂に入ろうものなら、満員で空いている席は炭に釣っているテレビ台の下だけで、私はプロレスが好きでも無いから「ラッキー」とばかりこの席に座ってソバなぞを食べたものだが、満員の客が皆私の方を向いて、と言っても、全員の視線はテレビの画面に釘付けで、私だけが皆の顔に向かっていると言う妙な型になり、おかしかった。
室工大在職中、我が家にしょっちゅう飲みに来た秋田出身のNはプロレスが大好きで、どんなに飲んで話が弾んでいても、そそくさと帰る時があって、その時は必ずプロレスがある日なのだった。
「プロレスの何がそんなに面白いのか」と質問すると、「あれは非常に危険なスポーツで、その危険をさけつつ、如何に本当らしく闘うか、と言うショー的な技術の上手い下手が面白いのです」と言った。プロレス無関心の私でも、力道山は知っている。ケレドモ、アニワカランヤ・・・。「彼は政界や財界や、闇社会の有力者の為に、極秘で夜間に不法賭博を主催するのが好きだった」そうだ。また、「彼が東京で1・2を争う犯罪組織の名誉会員である事実を、世間にはあまり知られていなかった」そうだ。
そして更に「東京のナイトクラブのさきがけと言える<ニュー・ラテンクォーター」は、外国の諜報社会や日本の闇社会の連中がたむろする、悪名高き社交場だった。力道山は、ここの男子トイレで刺された。この事件についてはCIAの陰謀説を唱える声もある」そうだ。
こんな話が続々と出てくる① は、既に十指に余る批評が出ているので、私ごときが取り上げる必要も無いようなものだが、日本人が知っておいて悪く無いことが、沢山出てくるという意味で、すすめずないではいられない。
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高倉健の映画はほとんど観て来たつもりでいたが、と言うことはつまり、高倉健の映画についてなら何でも聞いてみて!という感じでいたのだ。ケレドモ、アニワカランヤ・・・。「網走番外地」の主題歌が「放送禁止」の歌だとは知らなんだ。
「知らなかった」と言えば② にはそうした話がゴマンと出て来たが、②にも「網走〜」を始めとして知らなかったことが続出する。
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私は演歌がしみじみと好きな男だ。従って、北島三郎も好きだが・・・彼の「ブンガチャ節」・・・例の「ブンガチャ チャ ブンガチャ チャ」のはやしが出てくる歌が「放送禁止」の歌とは知らなかった。
もっとも私の場合、正確には「知らなかった」ではなくて、「忘れていた」なのだが、それはどうしてかというと、昭和52年(1977年)にルック社から「禁じられた歌 −発禁放禁のすべて−」なる本(絶版)が出ているからで、それにもこうしたことは出ておった。
どうしていかなる理由で「健サン」やら「サブチャン」の歌やらが、お茶の間から閉め出されるのか。それは、誰の命令でなされるのか、といった事供、これ又、我々皆が知っておいていいことではあるまいか。
前回私は、子供の時に読んだ忘れがたい本として、森田思軒訳の「十五少年」をあげた。この本の原本は言わずと知れたジュール・ヴェルヌの「二年間の休暇」だが、私は思軒の翻訳で、どれ程沢山の言葉を覚えたことだろうか。今でも、例えば「暗すぎて近くにあるのに物がはっきりと見えぬ」なぞと言おうとする時、思軒の口調で「咫尺(しせき)を弁ぜず」なぞと使いたくなる。ちなみに咫は8寸、尺は1尺だ。どれほど近いか計算して見て下さい。
その恩ある思軒の伝記が出た。他の人にはいざ知らず、私には珍しく、かつ、ありがたい。いい本です。③
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珍しく、ありがたい本と言えば④ 」 もそうだ。茨城県の十王町伊師浜には、沼田弘幸さんと言う「鵜(う)」を捕らえる名人、「鵜」から見たら天敵がいて、毎年岐阜の「長良川」など、全国の「鵜飼(うかい)」の観光地十ケ所余りへ、五十羽前後を供給している。
この名人の話もいれて、日本と中国にしか無い「鵜飼」について過不足なく語ったのが、十王町役場で出した本だ。すこぶる面白い。「鵜飼」については、いずれ又語りたい程、話がある。