`92.12.2寄稿
十二月に入ると私は納戸から額を一つ出して、居間の壁にかけます。中味は藍染の地に、白抜きで
「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ次郎の屋根に雪ふりつむ」の二行詩。
言わずと知れた三好達治の名詩「雪」です。字も達治によるもので、十四、五年前に秋田県角館に行った折、達治が好きと言う、喫茶店の女主人から、譲り受けたものです。 続きを読む 第024回 雪の文化史と言える2冊
`92.12.2寄稿
十二月に入ると私は納戸から額を一つ出して、居間の壁にかけます。中味は藍染の地に、白抜きで
「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ次郎の屋根に雪ふりつむ」の二行詩。
言わずと知れた三好達治の名詩「雪」です。字も達治によるもので、十四、五年前に秋田県角館に行った折、達治が好きと言う、喫茶店の女主人から、譲り受けたものです。 続きを読む 第024回 雪の文化史と言える2冊
`11.1.15寄稿
松たか子主演の「告白」なるDVDを観た。観たはいいが、その全編をおおう「おぞましさ」にウンザリ。天才を自認する中学生男子が、己の天才を、自分を捨てた母親及び社会に誇示して、もって己の存在感を確かな物とすべく、彼が魯鈍(ろどん=おろかでにぶいこと)と看做すクラスメートの男児を誘って、担任女教師の幼女を殺してみせる。この2人が自分の子供の殺害者だと知った女担任はこの2人の中学男子に、エイズ患者の血液を入れた牛乳(ヨーグルト?)を吞ませ...と筋は進んで行って、結果、女担任は復讐を成し遂げる。 続きを読む 第305回 明治のミステリー小説と当代のミステリー
`92.10.30寄稿
私はまだ観ていませんが、映画「おろしや国粋夢譚」(原作井上靖)で、すっかり有名になった三重県鈴鹿白子の船頭、大黒屋光太夫が、苦難の十年余を経て、帰国してから、今年は丁度二百年目と言う事で、帰国の第一歩を印した根室市では、この10月20日、記念式典を開いて、作家綱渕謙錠氏らの講演があったそうです。 続きを読む 第022回 大黒屋光太夫
`92.10.16寄稿
「金襴緞子(きんらんどんす)の帯びしめながら 花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜなくのだろう」という詩は.それこそ、日本人なら誰でも知っているに違いない詩、と思われますが、この詩の作者の展覧会が、七月末、札幌は今井デパートで開かれました。題して「叙情の旅詩人、蕗谷虹児(ふきやこうじ)展」 続きを読む 第021回 蕗谷 虹児(ふきやこうじ) の世界
`92.10.02寄稿
右図は私の好きな画です。版画家にして詩人の川上澄生(すみお)の「的」と題する作品です
恋愛の神『キューピッド』の矢に射抜かれた男の顔の表情の絶妙さ....何の説明もありません。恋とはかくなるものです。下の図も「顔」と題する澄生のもの、これも私の好きな画です。これ又何の説明も要しません。好きな女(人)以外は目に入らぬのです.他は、有象無象(うぞうむぞう=種々雑多なつまらぬ人)なのです。つまりは、塵芥(ちりあくた=ごみくず=値打ちのないもの=とるに足らぬもの)なのです。
さて、先月9/1〜9/6日まで、苫小牧市立中央図書館で「川上澄生没後、20周年記念文芸美術展」が開かれました。何故、苫小牧で?というと、澄生は1945年(昭和20)50才の時、アメリカの空軍の空襲を逃れるため、宇都宮から、奥さんの実家のある、北海道は胆振国(いぶりのくに)勇払郡(ゆうふつぐん)安平村(あびらむら)追分(おいわけ)に移ったからです。
そして、苫小牧中学校の(現.東高校)の英語の先生をしながら、地元の芸術愛好家達と、交わった、という縁があるからです。
苫小牧での展覧会では嬉しいことに、あわせて「澄生」を語る」講演会も開かれました。澄生作品の蒐集家として有名な山下正氏が身体不調で欠席となったのは、残念でしたが、あとの3人の演者(いずれも苫小牧在住)と演題は次の如し。
1) 遠藤ミマン(詩人.画家)「川上澄生の生き方と文芸作品」
2) 浅野武彦(医者) 「川上澄生の版画」
3) 川上不二盡(ふじ)(獣医澄生の長男.昭14生)「父の思いで」
愉快で奔放(ほんぽう=勢いのいい)な詩人の論、正統的で緻密な医者の論、親味な息子の論、と各各面白いものでした。
さて、一方来る10/6〜10/11に、白老中央公民館で、澄生先品のコレクションで知られる新潟は柏崎市の「黒船館」の協力を得て、「風となりたや、川上澄生版画展」が開かれます。何故白老で?というと、澄生は,昭和20年6月に、追分から白老に移り住んだ縁があるからです。
昭和44年に出た澄生の「履歴書」の中の一節には、「白老駅前に棒杭が立ててあって、“白老郡白老村大字白老字白老”と書いてあって何でも白老づくめなので吃驚した」とあります。その字も今では立派な町です。
ポスターの前文「風となりたや」は左図の名作「青髭=あおひげ」の中の一枚に因んだものです。
棟方志功(むなかたしこう)がこの画を見て、版画を志したのは有名な話です。