第296回 八木義徳生誕100年..思い出

`10.4月13日寄稿

4月初めだと思うが、室蘭民報社の野崎己代治記者が来て、来年は室蘭の名誉市民で芥川作家の故八木義徳の生誕100年の節目となるが、それについて一言、と言う。野崎さんは、私がこの市立図書館に招かれた時に素早く、拙宅迄取材に来てくれた人で、つまりは気心の知れた人だから、私は心開いて色々な事を話したが、そのあと「関係者らの声」として、民報紙上にのった所をみると、野崎さんは、私が語ったあれこれを次のように上手にまとめていてくれた。

〜元市立図書館長の山下敏明さんも、との前書きでこう続く「北方(ロシア文学)の感覚を取り入れながら、コツコツ独自の世界を築き、文学の正道を歩いた人。忘れず読み続ける事が大事『海明け』などは(母校である)室蘭栄高校の全生徒に読んでほしいくらい。読み継ぐことが文化の継承になる」と願っている。読んで私は自分が伝えたいことが過不足なく表現されたことに満足して、野崎さんに内心感謝した。

ところで上記の文は読んでお分かりのように民報紙にのせた「本の話」の一話だが、その中で読み継ぐことが「供養」となると言うのが、今回も野崎さんに伝えた所の私が話したい主旨なのだ。

野崎さんの談話のおかげで、私は或る事を久しぶりに思い出していた。

それはもうかれこれ40年程も前の話だ。室工大勤務の私に、誰だったか忘れたが電話がかかって来た。一つお願いがある。と言う、そのお願いとは、八木義徳が来蘭するので、八木を囲んで室蘭文芸協会が座談会を開きたいのだが、

(その時点での)一番新しく出た本である「摩周湖」が図書館にもなく、又協会員も持っていない。ついては蔵書家との噂のある貴方がひょっとしてお持ちでないか?して又おもちならばちょいと座談会の前に貸してもらえないか云々(うんぬん)

私はその頃、室工大で、学生と一緒に本を読み続けてる身であったから、室蘭の文化協会はおろか、文化連盟の人達をも殆ど知らなかったが、まあ担当者は困っているのだろうと思って、(私は本を貸さない主義だが)この時ばかりは貸した。座談会は、昭和47年9月13日.夕.6:00から図書館3階の講堂(今ふくろう文庫の美術書を置いてある部屋)だった。

私は本を貸した手前、出席せねばなるまいと、来てみた。八木を囲んで両脇に並んだ人達を私は知らなかったが、その中の一人が、「私共、八木先生の作品を日頃出るつど(だったか)受読している身として〜」てな挨拶をして八木の話が始まった。因みに私が貸した「摩周湖」は昭和46年4月25日発行でああるから、この時既に一年余が過ぎている訳で、となれば未だ読みもせず、おまけに持ってもいずでは、余り「受読者」とは言えないんじゃなかろうかなどと内心私は思わぬではなかったが...

その八木の話の中で、私がまるでこりゃドストエフスキーの人物だわと思ったのがあって、それは、この北国の室蘭に春が来る、雪が溶け始めて地面が表れる、すると私は、オーバーを投げ捨てて、ガバッとその泥の上へ身を伏せて大地の香りをかぐのです。皆さんもおやりでしょう?と言った趣の話を聞きながら私はいや、俺はそんなバッチイまねはしたことがないな、と甚だ非文学的なことを考えていたのだった...がそれは今おいて、

やがて「本」が返されてきた。一応汚されていないかを確かめようと函から出して表紙をめくると、八木義徳のサインが目についた。万年筆で書くと聞いていた八木の端正な字で私はあーサインしてくれたのか、と思いつつ、今度は裏表紙に目をやると、何やら、落書きのようなものがある。これはしたり!こりゃ何だ、と思ってみると、これぞ金釘流と言うのか、八木とは似ても似つかぬ字で「蟹は甲羅に似せて穴をほる」とある。これにはおどろいた。これは「蟹は自分の大きさに合わせて穴を掘ると言う事から、人は自分のっ力量、身分に応じた言動をするものだ。又はそれぞれ相応の願望を持つものだ」と日本国語辞典に説明してある。

書いた人の信条か、座右の銘かは知らぬが人の本に書く神経が分からぬ。どんな穴でもいいから掘るなら1人で掘ってもらいたい。おまけに「借読の記念に」とある。人から借りた本に一々こうしたことを書き付ける人がいるんだろうか。私としては、本を汚された思いだが、驚き、諦め...今に至っている。因みに私は人からめったに本を借りぬが、借りたとて、たのまれたとて、こんなことはしないな。人様々だ。

第295回 紫禁城の西洋人画家

`10.4月寄稿

先日、札幌で珍しい本をみつけた。王凱(おうがい)著「紫禁城の西洋人画家ージュゼッペ・カスティリオーネによる東西美術の融合と展開ー1 」だ。「珍しい」と言う意味は、このJ・カスティリオーネ(1688〜1766)なる画家についての、まとまった本が日本には今迄ないと言うことで、美術館や大学の紀要やら、専門的な美術雑誌に載ったいくつかの論考はあるけれど、一般の目にふれるようなものは今迄なかった。(王凱の前著「中国芸術の光と闇」(秀作社)については、私は「本の話」no441/2006.4.2でふれている)

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  1. 王凱.紫禁城の西洋人画家。大学教育出版.(2009) []

第264回 僧侶の現実 

`07.8月寄稿

「悪い坊主1 」のまんがきはいきなりこう始まる。「悪い坊主ーなんて今さら言ったところで誰も驚きやしないだろう。坊主が悪いもんである事は、クソ坊主のたとえもある。〜」。これが当ってるかどうかは私は知らぬが私がこの本を2Fの閲覧室から抜いて来たのは、目下興味がある、或いは知りたいと思うことの答えがあるように見えたからだ。知りたいと思うことの10%程の答えが出ているのは第4章「悪い坊主実証例」の所で、その例の3番目が「納骨堂にランキング」と題する所だ。

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  1. 田村恵照.悪い坊主.データハウス(1992) []

第069回  永井荷風の「四畳半襖の下張」裁判

`95.4月19日寄稿

文化勲章受賞者、永井荷風の春本(今風にいうとポルノ)について、古今の作品を引きながら縦横に論じた好著、矢切隆之の『なぜ「四畳半襖の下張」は名作か1 』を“まこともって同感の至り”と心地良く読み終えて寝た、翌朝3月31日のことです。

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  1. 矢切隆之.なぜ「四畳半襖の下張」は名作か。三一書房刊(1995) []

第059回 澁澤龍彦の翻訳姿勢?

`94.10.12寄稿

今、若者の間で、フランス文学者にしてマルキ・ド・サドの紹介者だった故澁澤が人気絶頂の由。その澁澤が選んだ「ポルノグラフィベスト50」なるリストが角川文庫「読書の快楽1 」にのっています。

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面白いリストですが、これが実に不親切というかいい加減なものです。例えば、ヴェルレーヌ「オンブル」(出版21世紀)

と出ています。これは当時新本で20万余もした本です。この値段を知らずに、もし読者が注文にしてしまったなら、どういうことになるのか。もっともこの本にあげられた1000冊のリストには、全て刊年も値段もついていませんから、これは、編集者の責任で、澁澤を責めるのは筋違いかも知れません。

因みにこの「オンブル」は、平成2年に池田満寿夫の挿絵入りで出た「詩画集、男と女」に収められましたが、残念なことに今は絶版です。

又、ゴーティエ「女議長への手紙、(学芸書林)とありますが、こんな書名の本はありません。正しくはティオフィル・ゴーチェ.長田俊雄訳「サバチェ夫人への手紙2 」(学芸書林)です。これも絶版。

又オスカーワイルド「テレニー」(未訳)とありますが、これも間違いで昭和45年に二見書房から、宮西豊逸訳の「テレニー3」が出てます。

更に又、ピエールルイス「三人娘と母」(蒼濡都(さばと)館近刊予定)とありますが、これは果たして出版されたかどうか?

私が持っているのは、津久戸俊の訳で「母子特訓4 」という妙なたいとるになっています。これも絶版。   etc.  etc

又、澁澤はベスト50のリストのトップに自分の訳になるサドの「悪徳の栄え』をあげていますが、これも一寸、ヌケヌケという感じでいただけません。

と言うのは、1959年に現代思想社から出た「悪徳の栄え5 」はそれ自体完訳にあらず、既に妙訳でしたが、不幸なことに官憲によって発売禁止となりました。

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澁澤と現代思想社は当局のこの処置に抗して裁判で争いましたが、結局負けました。

それですから現代思想社版以外の「悪徳の栄え」は、全て抄訳の上、裁判で削除された部分が入っていない少々きつく言うならば一種の欠陥本なのです。それをそれをリストの最初にあげる、こういう点が一読者として私は好きではありません。

サドの「ソドムの百二十日」の澁澤訳もタイトルは完全ですが、序文が訳されているだけで原書の六分の一に過ぎないものです。これも羊頭狗肉(ようとうくにく=羊頭をかかげて狗肉=(犬の肉)を売る、=看板に善いものを示して悪い物を売る)のような感じがします。

昭和30年に出たサドの「恋の駆け引き」以来私はずっと澁澤を読んで来ましたが、今回は、彼に対するいささか苦い気持ちを書いてみました。

  1. 安原顕編.読書の快楽.角川書店(1985) []
  2. ゴーチェ長田俊雄訳.サバチェ夫人への手紙.学芸書林(1964) []
  3. オスカーワイルド宮西豊逸訳.テレニー.二見書房(1964) []
  4. ピエールルイス津久戸俊訳.母子特訓.光文社(1986) []
  5. マルキ・ド・サド.悪徳の栄え.河出文庫(1990) []